ちひろ(芦田愛菜)は赤ん坊の頃、ひどいアトピーで、父(永瀬正敏)と母(原田知世)は、心を痛めていた。
ある日、父は同僚(池内万作)が勧めてくれた、ある新興宗教団体が販売する「金星のめぐみ」なる水でちひろの身体を拭いたところ、うそのように快癒。
以来、ちひろの両親は、すっかりその宗教にのめりこんでしまう。
母の兄(大友康平)は、そんな一家を心配し、ひそかにその水を公園の水道水とすり替えてみた。依然としてこの水のおかげでこんなに健康よ、とありがたがる両親に、伯父は「これはただの水道水。奇跡の水なんてまやかしだ」と告げるが、両親は激怒、逆に一家から追い出されてしまう。
ちひろは、新興宗教を信じる両親の元で、特段反発もなく成長。
教団の幹部・海路(高良健吾)や昇子(黒木華)の話も素直に聞く。
だが姉は思春期を迎え、宗教一辺倒の家族に疑問を抱いたのか、家出をして行方が分からない。
ちひろが中学3年になったとき、学校に数学の南先生(岡田将生)が転任してくる。
イケメンの先生にすっかり夢中になるちひろ。
若くて独身の南先生は女子生徒の人気の的だ。
卒業文集編集のため、帰りが遅くなったちひろやなべちゃん(新音)や新村(田村飛呂人)は、南先生のクルマで送ってもらうことになった。
なべちゃんはちひろの気持ちを知っているので、あえて、彼女を南先生の助手席に座らせる。
ところが公園にさしかかり、南先生は「不審人物がいる!」と叫ぶ。
それは「めぐみの水」を頭に置いたタオルにかけている、ちひろの両親の姿だった。
これを契機に、ちひろの南先生への気持ちが離れていく。
そしてその「不審人物」がちひろの両親だと知った南先生は、教室でそのことを非難するのだった。
すっかり傷ついたちひろ。
伯父から法要の連絡が届く。
ちひろだけが海辺の街へ向かった。伯父夫婦はちひろに、
「高校からは伯父さんの家に下宿して通わないか?」と持ち掛ける。
表向きは志望校が自宅から遠いし、叔父の家からのほうが通いやすい、ということもあったが、ちひろは「それだけじゃないんだけど・・」と言いよどむ伯父に一言「わかっています」と答える。
伯父が、信仰を棄てない両親からちひろを引き離したい、ということは、中3のちひろもわかっていた。
だがちひろは、教団の大規模な合宿セミナーに両親とともに参加。
まるで修学旅行のような高揚感がある。決して嫌じゃない。でもー。
その夜、ちひろは両親と宿泊所を抜け出し、林の中で満天の星空を眺める。
3人は寄り添い、流れ星を見つけ、喜び合うのだった。
先に今村夏子さんの原作「星の子」を読んでいたので、映画化される、しかも主演は芦田愛菜ちゃん、と聞いて楽しみにしていた。
映画のエピソードなども、ほぼ原作どおり。
ふつう、ちょっとあやしい新興宗教が小説に登場すると、たいてい、批判的見地から描かれ、カルトからの洗脳、がテーマになっていたりする。
しかし「星の子」では描かれ方が全然違う。主人公・ちひろは、わりにすんなり、もとから家庭の中にあったものとして、両親の信仰とともに成長するし、両親もちひろに愛情を注ぐ。
そして、周囲はそんな教団にはもちろん冷ややか。
ちひろは高校受験を前に、これからおとなになる時期を迎え、このままこの宗教と共に生きるのか、どうするのか、岐路に立っていることを感じ始めていく。
そういったむずかしい少女の感情のヒダを演じるのが芦田愛菜ちゃん。
以前、わたしの友人が「芦田愛菜ちゃんは『天才子役』じゃなくて『天才』ですよ」と言っていたが、セリフのないシーンでの、不安感やためらいの表情の出し方が本当にうまい。撮影時、ちひろと同じ中学3年だった、ということもあるが、まさに等身大の「ちひろ」そのものを演じている。
永瀬正敏と原田知世が夫婦役というと、「紙屋悦子の青春」を思い出す。
赤ちゃん時代のちひろを抱っこするシーンの原田知世は、まるで20代のよう(;゚Д゚)。
カルト宗教のもとで暮らす少女、という特殊な状況ながら、やはりそんな中でも、普通に恋をし、友人と語らい、いろんなものを吸収しながら成長していく普遍性を描いているのが秀逸だと思う。
(10月12日、テアトル梅田)
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