「花と龍」(上)(下)火野葦平(岩波現代文庫)
<表紙カバーの内容紹介より>
明治の終り、故郷を追われ北九州若松港に流れてきた男と女。二人は最下層の荷役労働者となり、度胸と義侠心で荒くれ男を束ね、波止場の暴力と闘う。男は玉井金五郎、女はマン。男の胸の彫青は昇り龍に菊の花。港湾労働の近代化を背景に展開する波乱万丈の物語。著者は本名玉井勝則、金五郎・マンの長男であり、実名で登場する。
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昨年、凶弾に斃れた中村哲氏。彼が作家の火野葦平の甥であることは、よく知られていたが、親族の話では「祖父の玉井金五郎に一番似ているのが中村哲」だという。
写真を見ると、たしかに容貌はそっくり。
それもあって、玉井金五郎の「一代記」であるこの本を読んでみたかった。
しかし文庫は絶版。ネット上での古本にはかなりの高値が付いている。
幾度かネットの古本を検索して、なんとか定価に収まる価格のものを見つけだして購入した。
上下巻で800ページにも及ぶ物語は、火野葦平の両親のダイナミックな人生をつまびらかにして、飽きさせず、なんとも「濃い」キャラクターたちが登場する。
玉井組と対立する組との抗争やら、玉井金五郎に惹かれる女達の入り乱れる思惑など、冒険活劇のような側面もたっぷりあり、のちに何度も映画化されたのも当然の成り行きだろう。
しかし、義侠心あふれ面倒見のいい玉井金五郎はもちろんだが、一番魅力的なのは、彼の妻で、中村哲氏の祖母である、玉井マンではなかろうか。
明治の時代に、男女差別の理不尽さに憤り、結婚後の女性が夫からの暴力にただ耐える家庭が多いことに怒りを表す。働き始めても、女性の賃金が男性よりずっと低い事実が我慢ならない。
夫と港湾労働者を束ねる「玉井組」を作ってからは、労働組合の設立や、労働者たちの待遇改善にも力を尽くす。
誰かが「『花と龍』はいわばフェミニズムの先駆けのような小説だ」と評していたけれど、わたしは、実は中村哲氏が一番似ているのは祖母のマンのような気がしてきた。
社会の不公正を憂い、人のために身を尽くしても奢らず、そんな生き方はおばあさんゆずりなのではないか、と。
物語の後半には、玉井勝則(火野葦平)の妹と結婚する、これまた正義感あふれる中村勉という青年が登場するが、これが、中村哲氏の実父である。
「わかって下さい」藤田宜永(新潮文庫)
<表紙カバーの内容紹介より>
人生の折り返し地点をとうに過ぎ、もう恋など忘れたはずだった――。結婚を考えるほど愛していたのに、突然消えた女。四十年後の再会、そして別れの理由に涙する表題作。その他、離婚した幼馴染みへのひそかな思慕を描く「土産話」など、全六作を収録。年齢を重ねたからこそわかる、深い味わいと切なさに満ちた、名手による最期の恋愛短編集。
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表題作は、50代後半以降の人ならばピンとくるかもしれないが、因幡晃のヒット曲「わかって下さい」がモチーフ。
人生も終盤が見えてきた、中高年男性たちの、どこか切ない恋情の短編集。
藤田氏の小説は以前にもいくつか読んだことがあるが、いわば「おっさんの恋ごころ」を描くのが作者の身上とも言えよう。
だが、わたしが本書を読んでみたくなったのは、むしろ、妻の小池真理子氏によるエッセイがきっかけだった。
朝日新聞の土曜版別刷りに連載している小池氏のエッセイは、「夫の喪失」がずっとテーマになっている。
ご存知のように今年の初め、藤田氏が69歳で亡くなった。
毎回のエッセイは、その悲しみがいまだ癒されていないこと、夫の不在がどんなにつらいものかを切々とつづっていて、読みながら胸が詰まってくる。
小池氏が書いている藤田氏の思い出で一番印象的なのは、夫婦二人ともが直木賞候補になった時のこと。
その時は小池氏が受賞したのだが、それを知らせる電話を小池氏が実家にかけたところ、彼女の妹が「彼は?」とたずね、落選を伝えると、妹さんは泣き出してしまったという。
それは、端的に藤田・小池夫婦の関係を表わしているエピソードだった。
義兄のことを思いやって、落選を悲しんで泣いてくれる妹。
妻だけでなく、妻の家族にも愛されているし、心がそうやってつながっている、というのが伝わってくる文章だった。
「わかって下さい」は、藤田氏最後の短編集となった。
中年男の恋の迷いを描きながらも、藤田氏が一途に愛したのは小池真理子氏であり、小池氏はそんな唯一無二の存在が亡くなってしまった日々を、じっと今耐えているのだな、と思う。
「中古典のすすめ」斎藤美奈子(紀伊国屋書店)
<Amazonの内容紹介より>
「ベストセラー」以上「古典」未満
読書界の懐メロ=中古典を一刀両断!
一世を風靡した本には、古典に昇格するものもあれば、忘れ去られてしまうものもある──人気文芸評論家が、ひと昔前のベストセラー48点を俎上にのせ、現在の視点から賞味期限を判定する。
【名作度】
★★★ すでに古典の領域
★★ 知る人ぞ知る古典の補欠
★ 名作の名に値せず
【使える度】
★★★ いまも十分読む価値あり
★★ 暇なら読んで損はない
★ 無理して読む必要なし
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文芸評論界の御意見番にして最強フェミニストの斎藤美奈子おねえさまの筆が冴える一冊。「中古典」とは斎藤氏の造語で「古典未満の中途半端に古いベストセラー」を指すのだが、おお懐かしい、あんな本あったよね、あのときは妙に売れたんだよな、とか思い出までもがよみがえる。
1960年代〜90年代のベストセラーを取り上げているが、やはりさすがに「賞味期限切れ」のものも。
森村桂の「天国に一番近い島」なんて、時代とは言え「土人」と表記され(90年代になってからの再版では「島民」に表記を変えたらしい)、いま読めば民族差別がはなはだしいと言わざるを得ない。
逆に21世紀でも通用する、とされているのが田辺聖子の「感傷旅行」。
「明治以来、知識人の男の苦悩を追ってきた日本文学の伝統を、『感傷旅行』は、非知識人の女を主役にすることで鮮やかに相対化する」(54頁)と評している。アラフォー独身女性の恋の悲喜劇は、今でもテレビドラマで作れそうだし、斎藤氏いわく「21世紀になってようやく時代が田辺聖子に追いついた」。
わたしが大学生の頃、社会学の必読書のようにもいわれた「タテ社会の人間関係」(中根千枝)に至っては、「どこが名著かわからない」と評されて<名作度>も、<使える度>も星ひとつだけ。
ちなみにかの「ノルウェイの森」(村上春樹)は、
「日本文学には繰り返しベストセラーになる物語のパターンがある。『野菊の墓』(伊藤佐千夫)などに端を発する、「若くして死んだ女を生き残った男が回想する物語」である。『ノルウェイの森』は『野菊の墓』の系統のもっともゴージャスな物語だったのではないか」
「この小説がバブル期にベストセラーになったのは偶然ではない。世の中が浮かれていればいるほど、祭りから疎外された人の孤独は深いからだ」(281頁)
などといった分析もまた、秀逸。
鈴木健二「気くばりのすすめ」とか渡辺淳一「ひとひらの雪」なんぞも、当然のように評価は星ひとつだけ。
美奈子おねえさまがわれわれにかわってせっせと「中古典」を読んでくれて、一刀両断してくれるので、読者としてはありがたいやらです。
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