よっぽど見てくれがいいか、よっぽどスポーツができるか、よっぽど愛されキャラであるか。そのいずれかでない限り決して入っていけないのが、校内メインストリーム。
その領域の中心にいる者と、彼らと共通項を持つか価値観を共有し得る者でない以上、ほとんどの生徒は「傍流」として、それなりか、あるいはそれ以下の学校生活を送ることになる・・・。
いや、果たしてそうか? 目立つ存在、人気者になれなければみんな負け犬? そんなことはないんじゃない? 傍流には傍流の存在意義があり、そこで自分なりの輝きを放つこともできる。人の見ていない所で地道な努力を続け、人気者の座を勝ち取った者への敬意と賞賛の声を送ることもできる。
大切なのは、自分を卑下しないこと。しょうがない、と投げ出してしまわないこと。
小品「アルプススタンドのはしの方」は、陽の当たる場所を歩けない少年少女に「君たちは、君たち自身の応援団なんだ。だから君たちだけの王道を行け」と爽やかに言い切った、素敵な佳作でした。
この映画、とにかく嫌な奴が出てこないってのが、いいですね。
主人公である、挫折組の少年少女はもちろんのこと、やたら野球部の応援に入れ込んで「心をひとつにして応援しようぜ!」などと熱くまくしたてる英語教師も、イヤミったらしい吹奏楽部の女の子二人組も、観てるうちに「なんだ、いい奴じゃん」てな感じになってくるんですよね。そのプロセスが、実に気持ちいいのです。
夏のクソ暑い盛りに、野球の地区予選の応援に駆り出されてクサッてる「イケてない」生徒達の愚痴と無駄話が次第に彼ら彼女らの諦念をあぶり出し、ささやかな対立と衝突の果てに晴れやかな希望を呼び覚ます。ちょっと出来過ぎっぽいかも知れないけれど、ここで得られるカタルシスには、ヒネたおっさんに成り下がった私も少しばかり胸が熱くなりましたよ。
思いがけない不運のために演劇祭出場の機会を逃した演劇部の少女二人。
いくら練習したって報われないからと、野球部を辞めてしまった少年。
勉強しか取り柄がないから、と殻に閉じこもってばかりの優等生女子。
どんなに頑張ったって、マウンドで堂々とプレーしてるあの人気者ピッチャーと、その彼女で、吹奏楽部の部長やってる美少女みたいに、自分らは主流派にはなれないよねー、とふて腐れてた4人が、英雄たちにきちんとエールを送れるようになる。
これ、大事なことですよね。どうせうちらなんかー、とか、あいつら最初からすげえ才能持ってんじゃん、とか、そんな卑屈な言い訳で自分を納得させるより、凄い奴らの「凄さ」をきちんと認め、敬意を表する。
それすらできなきゃ、本当に自分が惨めになるだけですからね。でもあの4人は、それができた。うん、君たちも頑張ったじゃん。
気恥ずかしくなるような恋愛描写もなければ、華々しさなんかもかけらもないけれど、観る者の心を揺さぶらずにはおかない、これこそ「王道の」青春映画だと思います。
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