恥ずかしながら、小松左京の大著「日本沈没」、今まで読んだ事がありませんでした。
しかしながら、これは「復活の日」に次いで「今こそ読むべき物語」なのではあるまいかと意を決しまして、このほどようやく読了と相成ったのでありました。
これねえ・・・、ホントに50年近く前の小説なんですかね?
正直言って「復活の日」の方は少々古さというか生硬さが目立ってしまってて、パンデミックという超現代的なテーマが上滑りしてるように感じられたのですが、「日本沈没」は恐るべき普遍性、時代を越えた「人類が初めて体験する脅威に対する畏れ」とでも言うべきものが満ち満ちておりました。読みながら、何度も、この「地球」という巨大な生き物の気まぐれさ、薄い地殻の上に住む者たちへの無慈悲さに恐怖しましたよ。
読んでて驚いたんですが、これ、後半の4分の1は映画とは全く違いますね。
はっきり言いますと、原作の方が凄いです。
映画の方は何と言うか、小松左京のイメージに追いついてない、という感じがしました。橋本忍の脚色は見事としか言いようがありませんが、後半についてはやはり刈り込み過ぎましたね。予算の都合もあったのかも知れませんが。
だってねえ、凄い見せ場がいっぱいあるんですよ、ホント。特に、北アルプスの見納めだからと白馬岳に登っちゃったバカなパーティを救助するために、あの小野寺くんが山に入っていって凄まじい恐怖を味わう件りなんて、もう・・・。
そうそう、私がいちばんびっくりしたのはD計画のオペレーションルームに設置された、日本沈没シミュレーション映像の投影装置の描写。これがなんと、ホログラムによる3D映像で見られるようになってるんですよ。日本列島の地上や地下の動きを、立体映像であらゆる角度から見られるように作られてるんだから、カッコいいじゃありませんか。
それに比べると、映画版のシミュレーションの侘しさよ・・・。小松左京もきっと、あれにはガッカリしたんじゃないかな。
あと、原作と映画の違いは、総理大臣の扱い。
映画では丹波哲郎が見事な風格をもって演じた山本首相でしたが、原作では大きな見せ場はありません。例の「門を開けてください!内閣総理大臣の命令です!避難民を宮城内に入れてください!」の名場面もないし、「爬虫類の血は冷たかったが、人間の血は温かい」という名台詞も吐かないのです。
ラストにおける、田所博士との見事な二人芝居も、映画のオリジナルでした。
原作では、田所博士と渡老人が、あのシーンに相当するやりとりをしてるんですが、これはちょっと凄いですよ。博士がなぜあそこまで狂ったように日本列島沈没のメカニズムの研究に没頭したのか、日本沈没の可能性に思い至ったとき、彼がまず考えたことは何であったか。
読んでて、思わず「うわあ、そうだったか!」と唸ってしまいましたな。
小松左京の「日本沈没」、コロナ禍で揺さぶられ、不安と疑心暗鬼に苛まれているこの世相の中で読むには最適の作品かも知れません。
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