朝食の後、朝日新聞を読んでいたら、ローカル版に塩田千春さんのインスタレーションの展覧会が、岸和田市で開催されると紹介記事があった。
昨年、六本木の森美術館で、彼女の大規模な展覧会が開催され、話題を呼んだ。なんと入場者は66万人にも上ったという。
わたしは東京までは見に行けず、関西への巡回展もなくてとても残念に思っていた。
岸和田の展覧会は、市民ホールの一室での小規模なものではあるが、それでもナマで塩田さんの作品が見られるまたとない機会。
きょうからの開催だ。しかも本日、10時45分から塩田さん本人による作品説明もあるんだという。
時刻表アプリで調べると、まだ十分間に合う。
それで、思い切って岸和田まで行くことにした。
地下鉄でなんばまで行き、南海本線の関空ゆきの急行に乗り換え。
「春木」という駅で下車。
住宅と商店がたちならぶ、いかにも地方都市らしい町並みを12,3分ほど歩く。
駅前に「貸自転車」のお店があるのが、なんとも昭和な感じである。
ちょうど10時に市民ホールに着くと、オープニングセレモニーの岸和田市長の挨拶が始まっていた。
いろいろお偉いさんの挨拶が続くが、塩田千春さん本人も登場。
やや小さな声でなんだか自信なさげ、みたいな感じでお話しになる。
今年48歳なのだが、もっと若々しく見える、かわいらしい感じの女性だ。
世界的なアーティスト、と呼ばれてるため、ガンガン作品つくります!というアグレッシブでいかにも芸術家肌、みたいなひとを想像していたので、イメージとだいぶ違う。
さて、入り口のテープカットも終わって、入場。
赤い糸が4つの柱を支柱に張り巡らされた空間は、やはり圧巻であった。
こんな表現をまずもって考え出してしまう、そして創りあげてることが凄い。
糸をめぐらした内部には、子どもたちの絵が浮かんでいる。
岸和田市内の小学生たちに「あなたの大事なもの」というテーマで描いてもらった絵なんだそうだ。
塩田千春さんは1972年岸和田市生まれ。故郷ということでこの展覧会が実現した。
幼いころから絵を描くのが好きで、京都精華大学へ進学し、洋画を勉強するが、表現に行き詰ってしまう。
そんな彼女が新たな表現方法を見出したのが、三次元でのインスタレーション。
オーストラリア国立大学、ハンブルク美術大学へ留学、24歳で「アーティストとして生きる」ことを決意、ベルリンを拠点に創作活動を続けている。
その間、ガンを患い、闘病生活も送りながら、さまざまな表現を発表してきた。
小さなホールの真ん中にしつらえられた作品を前に、ぎっしりと集まった観客を前に、塩田さんのお話が始まった。
高校の美術部の後輩たちと9人で、4日間で作品を作り上げたこと、小学生たちに協力してもらったことへの感謝などを話し、
「糸とは、結んだり、からまったり、ほどいたり、人間関係そのものの象徴だと思います」と、とつとつと語る。
観客からの質疑応答の時間が設けられた。
「どんな糸を使ってるんですか? 長さは?」
「ふつうのアクリル製です。長さは42キロになります」
「展覧会が終わったら、作品はどうなるんですか?」
「処分しますので、作品はなくなりますが、見た人の記憶に残っていただければいいと思っています」
「岸和田での思い出をお聞かせいただければ・・」
「わたしも小学生のころまで、だんじり曳いていました(笑)」
<わたしも手を挙げて質問してみました>
「アーティストのかたって欧米に留学することが多いようですが、さいしょにオーストラリアの大学に留学したのはどうしてですか?」
「ちょうど、交換留学の制度がありまして、アメリカかオーストラリアの大学を選べたんですよ。オーストラリアの大自然に惹かれたので、そちらを選びました」
昨年の東京の展覧会も見ました!という塩田ファンのかたが、何人もおられました。
「福岡から見に来ました。東京展も見てきました。わたしも絵を描いているんですが、表現方法で悩んでいます」
「わたしも制作しているとき、とてもつらいことがありますが、その苦しんだ辛さこそが作品になっていっていると思います。塩田千春は、塩田千春でしかない、そういうものを感じてもらえたなら・・」
「病気も経験されていますが、それも作品に影響がありましたか?」
「今思えば、病気を乗り越えたことも、森美術館の展覧会を成功させるための試練だったのかな、と思えます」
「後輩たちになにかメッセージを・・」
「小学生たちも、とてもいい絵を描いてくれました。これからもどんどんいい絵を描いていってほしいです」
言葉を選ぶように、ゆっくりと受け答えをされていた塩田さん。
実家は、このホールから自転車で来られる距離なんだそうです。
展覧会は3月15日まで。
見終わって春木駅まで戻り、駅前の昭和の喫茶店でランチ。コーヒーがおいしい。
さて、岸和田と言えば、だんじり、そして朝ドラの名作「カーネーション」。
春木駅から岸和田駅までさらに電車に乗り、駅前の商店街を歩く。
残念ながらあの小篠洋品店は、おばんざいの店に様変わりしてしまっていた。
商店街は、人もまばら。
わたしが街を歩いた限りでは、自転車に載ってる高齢者が多かった(;´∀`)。
でも商店街には、昔ながらの日本家屋も残っており、空き家になっていたので、うまく生かして古民家カフェとかできたらいいのに、などと思ったのだった。
(2月5日)
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