秋の恒例「正倉院展」に、今年も行って参りました。
で、やっぱり混雑! 開場20分前に入り口に着いたら、すでに200人近い行列!
そんな激混みの中、1時間半かけて見て回る。
今年の目玉は、「鳥毛立女屏風(とりげりつじょのびょうぶ)」6枚が全部出展されていること、ポスターにもあしらわれている、きらびやかな「紫檀金鈿柄香炉(したんきんでんのえこうろ)」が登場していることだろうか。
展示品は、ガラスケースの向こう側に鎮座しているため、なかなか至近距離では拝めない。
細部を鑑賞できる、「単眼鏡」を持参している人がけっこういる。
特に混雑する展覧会では、人の頭越しにやや遠くから眺めざるを得なくなるので、これは重宝しそうだ。わたしもそのうち買ってみようかな。
展示品はえりすぐりの「お宝」だけに、当時としては最高級品、そして当時の最先端の技術でつくられた品々。
戸棚はけやき材で、いまでも使えちゃいそうだし、聖武天皇が東大寺の大仏完成の儀式で履いたという靴は、外側は鮮やかな赤(すこし臙脂色に近い)で染められた牛革、内側は白い鹿革、表面には銀製の花形飾りに、水晶や真珠があしらわれている逸品。
「金銀平文琴(きんぎんひょうもんきん)」は、本体は桐材製、表面には黒漆が塗られ、文様の形に切った金銀の薄板を表面に貼り付け、漆で塗り込めた後に文様部分を研ぎ出して現す平文の技法によって、瑞鳥や動物(霊獣)、草花、山岳、人物などの文様が全体に美しく装飾されている。
「紺玉帯残欠(こんぎょくのおびざんけつ)」は、いわばベルト。いまで言うバックルは銀に金メッキしており、帯にはラピスラズリが飾られている。さすがに少し褪せてはいるけれど、当時、このラピスラズリの紺碧の輝きはいかほどだったろうか、と思わされる。
アフガニスタンあたりで産出されるから、シルクロードを通って、はるばるやってきたのだろう。
香炉は、高級感いっぱいである。細かく施された装飾と、ちりばめられた金や水晶、そして金の獅子の飾りが目を惹く。
歴史教科書には必ず載っている「鳥毛立女屏風」は、もとは、女性の衣服部分には、ヤマドリの羽毛が貼られていたんだとか。つまりは3Dチックな絵画だったんですね。
6枚全部の公開は20年ぶりらしい。
6枚それぞれの女性は右側を向いたり、左側を向いたり、宝玉を持っていたりと微妙にポーズが違っているのだ。
毎年、正倉院展に来て思っていることなんだけど、異国趣味全開のこれらの品々(舶来品多し、また「国産」でも、中国由来の物を参考に作られている)を見ていると、「日本文化」のオリジナリティーって何なのだろう、と。
聖武天皇って言っちゃなんだが「外国かぶれ」だったんじゃないか。
とはいえ、舶来のこんなキラキラで珍しいものを見せられちゃ、夢中になるのも致し方ないだろう。
さて、毎年、正倉院展で楽しみにしているのが、会場の後半で展示の正倉院文書。
戸籍や、地方から都に特産品を送った記録、そして、「防人の旅費」や「写経に使うお経の貸し出し」に対するコストについての記載など、人間臭い記述が、1300年たってもありありと浮かんでくる。
それにしても写経の文字の、なんと流麗で美しいこと!
でも、これをえんえんと何十巻もやっていたら、さすがに体に悪そうだ(;´∀`)。
「筑後国」の記述があると、福岡県人のわたしは、ついつい見入ってしまう。
奈良時代だからもちろん漢字ばかりだが、いわゆる「万葉仮名」で書かれている文書を見ると、なんだか親しみがわく。「普段使いの言葉でちゃんと表したい」という筆者の気持ちが伝わってくるからだ。
とはいえ、まったくのアテ字なので、その部分を読んでみようとするとけっこう苦労するのだ。
人ごみを縫いつつ、館内を歩き回り、ようやく見終えたのだが、すぐ近くの興福寺では、ちょうど北円堂と南円堂の仏像が特別公開中。
それで、こちらへも足を延ばすことに。
この日の奈良は、日中は日差しもけっこうあって、汗ばんでくるほどだった。
興福寺の特別公開の日記は、別途、続く・・
(10月28日、奈良国立博物館)
※画像左 正倉院展の看板 画像右 「金銀平文琴(きんぎんひょうもんきん)」
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