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2019年09月20日12:36

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福岡で「福岡」を見る<アジアフォーカス福岡国際映画祭>

チャン・リュル監督は1962年、中国吉林省・延辺朝鮮族自治区生まれ。
大学教員、作家としても活動するが、1989年の天安門事件で、表現活動の制限に直面、その後韓国に活躍の場を移し、映画監督として作品を発表。

都市の名前を冠した「慶州」「群山」に続いて制作したのがその名も「福岡」。
アジアフォーカス福岡映画祭に、チャン監督が毎年のように招かれる中で、福岡の地に親しみを覚え、ここでロケすることになったという。
「福岡」は今年のベルリン国際映画祭フォーラム部門にも出品されたが、日本での上映は、本年のアジアフォーカス福岡国際映画祭がはじめてだ。

そして漏れ聞くに、ロケはわたしがよく知っている場所でおこない、わたしが通った店も登場するのだとか。
これは福岡県人のわたしが見ない、という選択肢はない!
しかもアジア映画通の京都の友人も、福岡まで見に行くのだという。

友人の言葉に刺激を受け、わたしも福岡に足を延ばして見に行くことにしました。
もちろん、福岡市に住んでいた頃は、毎年行っていた映画祭。13年ぶりに行くことになります。

場所はキャナルシティのユナイテッド・シネマ。ここに来るのもひさしぶり。
友人とは残念ながら、見に行く日程を合わせられなかったのだが、先に「福岡」を見ていた友人からは「尹東柱(ユン・ドンジュ)の詩が『福岡』にも登場しますよ」と聞いていて、楽しみだった。


物語は、ソウルの古本屋の暗がりから始まる。
ジェムン(ユン・ジェムン)の経営する古本屋にソダム(パク・ソダム)がやってくる。親子ほども年が違うのに、ソダムは彼に「おじさん、エロ動画ばっかり見てるんでしょ?」「お客さん全然来ないじゃない?客はわたしだけでしょ」などと軽口をたたく。
ジェムンはどこからか声が店に中に響いてくるのを聴いた。空耳か?
しかもそれは、昔、いわくのあった、大学の先輩の声。
そしてソダムは唐突に「おじさん、一緒にフクオカに行きましょう」と誘う。

福岡市に到着し、民泊用とおぼしきマンションに落ち着くふたり。
彼らが向かったのは、中洲に近い小さな飲み屋。
そこにいた飲み屋の大将は、いわくある先輩のヘヒョ(クォン・ヘヒョ)だった。
ジェムンとヘヒョが会うのは28年ぶりだという。

ソダムがふたりの仲たがいの理由を尋ねると、大学時代、後輩女性・スニをめぐっての三角関係なのだという。
スニはジェムンもヘヒョも好きというから、どちらかを選べ、と言ったら大学もやめて姿を消したんだ、とぼやくジェムン。あとでお前が割り込んできたと主張するヘヒョ。
店には古ぼけた紙が貼ってあり、そこには、尹東柱の詩「自画像」が書かれている。

28年ぶりの再会だというのに、当時の感情のもつれをかかえたまま、グダグダのおっさんふたりの奇妙な福岡での日々が始まる。

ソダムは、そんなふたりの仲を取り持とうとする。
口喧嘩ばかりのふたりを見て「なんだか恋仲みたい」と笑うのだ。

ヘヒョの店で飲んだくれ、また別のカフェで大学時代のことを蒸し返したり。
ジェムンは「スニは福岡出身だった。先輩は、学生名簿で出身地を調べたんだろ?だからわざわざ福岡に来たんだ」と詰め寄るとヘヒョは、
「お前のやってる古本屋って、スニがいつも通ってた店だったろ?」と言い返す。
要するにふたりとも、消えた彼女とのよすがにすがって28年生きてきたのだ。

そんなおっさんたちにあきれたように、つかずはなれずのソダム。
小さな公園で中国人女性に出会うと、彼女が読んでいたのは村上春樹の小説。
ソダムはバッグから「わたしはこれを読んでるの」と、「金瓶梅」を取り出して、その女性に見せる。

そぞろ歩きするうちに、古本屋を見つけて入ると、その「入江書店」の若い女主人・ユキ(山本由貴)がソダムを見て「去年、いらっしゃいましたね。そのとき持ってきた人形をまだ預かっていますよ」と不思議なことを告げる。
ソダムはここに来るのは初めてなのに。
古本屋の暗がりをのぞくと、そこには、幻影のように、ソダムの分身のような女子学生が手元に日本人形を置いて、日本の童謡「おかあさん」を歌っているー。

ユキとソダムはジェムン、ヘヒョとともに福岡の街を歩くが、おじさんふたりがふとふりむくと女ふたりが突然いなくなっている。
あわてるジェムン、ヘヒョだが、彼女たちは昭和通りにかかる歩道橋を知らん顔して登っていく。

民泊マンションに戻ったジェムンは、真夜中なのについ、ヘヒョに電話をしてしまう。
怒りながらも、ヘヒョは、こんな時間に電話をかけてくるなんて、昔と変わっていない、と思う。

昔の三角関係を引きずりながらも、ジェムンとヘヒョの胸に去来するのは、楽しかった青春時代の追想だった。
福岡の街は桜が咲き始めた。
那珂川べりの満開の桜を見ながら、ジェムンとヘヒョは、手の中のコインの数を当てる、他愛ない遊びを繰り返す。

「先輩の店を上から眺めてみよう」というジェムンの発案で、エレベーターで、市役所の屋上に上った彼らは、「あ、あそこに店が見える」と指さす。
そしてジェムンは屋上から電話を掛ける。どこへ?
電話が鳴り響いているのは、ソウルの古書店。
そこにはひざをかかえてさびしげにうずくまっているジェムン自身の姿があったー。
**********************
これといってストーリーがあるわけではないけれど、過去と現在とがときに入り交じり、そして、韓国人、日本人、中国人との「境界」がふっと消えてしまうような、どこか不思議な感覚の映画。
ラストシーンで、ふたたび冒頭にシーンに立ち返り、円環のように物語が続いていることを示唆している。
こうしてみると、男性のほうが過去の恋愛に拘泥してしまうサガなのかな、となんだか笑ってしまう。

そして何より、映画の中の風景が、ほぼわたしの見知った場所ばかり、というのが嬉しかった。
特に大名地区エリアが登場するシーンでは、「入江書店」は、わたしが勤務していた会社のすぐそばで、蔵書を売りに行ったり、古本を買ったり何度もしたし、その向かいにある和菓子の「駒屋」は、豆大福が絶品で、よく買いに行ったお店。
大名にはわたしの青春が詰まっている。
映像を見ながら涙が出そうになる。
大名の路地で、天神の赤白の電波塔をバックにソダムたちが歩くシーンがあるが、その路地はわたしの通勤ルートだった。その道を自転車で走って、突き当りの入江書店の角を左に曲がって、会社に出勤していた。

映画を見ていてたまに「あ、ここ知ってる! ここ行ったことがある!」といったような体験はあるけれど、こんなにシーンのほとんどがなじみの場所ばかり、というような映画はなかった。それが何よりもうれしい。

面白いのは福岡市がロケ地なのに、いわゆる「福岡の名所」みたいな、福岡タワー、福岡ドーム、といった場所が出てこず、何の変哲もない路地などが登場すること。

ほかに、水鏡天満宮横の路地なども、福岡市民の方なら、すぐピンと来る場所。

また、尹東柱の詩がチャン監督の前作「群山」に続いて、またも劇中で効果的に使われている。
ヘヒョの店に詩が貼られているし、「愛の殿堂」の一節、

ふたりの殿堂は古風な習いのこもる愛の殿堂
雌鹿のように水晶の目を閉じよ
おれは獅子のごとくほつれた髪を整える

を、ヘヒョとジェムンがつぶやくシーンも出てくる。

上映終了後、チャン監督とユキ役の山本由貴さんが登場して、トークショーと質疑応答があった。
わたしも思い切って手を上げて質問してみた。

「今回も尹東柱の詩が登場するし、『群山』でも、尹東柱に言及するシーンがいくつもありました。監督にとって尹東柱はどういう存在ですか?」

監督からは、
「尹東柱とわたしは同郷だし、彼の母校であるソウルの延世大学で、いま映画について教えていることもあって、彼には親しみがあります。
福岡は彼が亡くなった場所であり、福岡に来ると尹東柱詩人のことを思い出します。
しかし、彼の詩のやさしさ、美しさが、福岡の街に残されたのではないでしょうか」
という嬉しいお答えをいただいた。

そのあと、監督と山本由貴さんのサイン会がおこなわれ、わたしもおふたりのサインをいただいた。山本さんは「やはり女優さんってキレイだなあ、輝いてるなあ」と、同性からみてもうっとりしてしまう美しさ。
わたしはチャン監督に「尹東柱の詩が好きです」と言って、サインを書いていただいているあいだ、ちょっと恥ずかしかったが、詩人の代表作「序詩」を、韓国語で途中まで暗唱してみた。監督はニコニコして喜んでくださり、舞い上がったわたしは、
「わたし、監督と同じ1962年生まれです。同級生です」などとワケわかんないことを言いつつ、握手していただいたのであった。

ところで余談ですが、ユン・ジェムンは豊原功補に、クォン・ヘヒョは陣内孝則にみえてしょうがないわたし。パク・ソダムはどこか指原莉乃を思わせました。
(9月18日、キャナルシティ・ユナイテッドシネマ)

※3月の大阪アジアン映画祭で見たチャン・リュル監督の「群山」
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1970797070&owner_id=5348548
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