トーハクの「マルセル・デュシャンと日本美術」は、その前衛性にも関わらず、多くの観客が来ていた。
デュシャンの《泉》を観て驚いたり嫌悪感をもよおしたりする日本人はもう少ないかもしれない。
現代アート作品の中にはそれより更に先を行っているものもたくさんある。
17:30頃には観終えたから、閉館時刻を延長している美術館も増えてきている土曜日でもあり、もうひとつ何か観に行く事もできたのだが、東京へ出てきたその日にムンク展とこれを続けて観て、正直疲れた。
ともかくホテルにチェックインして夕食をとり、早めに寝る事にした。
翌12/9(日)は、ミューザ川崎のシンフォニーホールでTBSK管弦楽団の第9回定期演奏会である。
私は、TBSKのコンサートはこれが3回目だ。CD･DVD等も含め、感想記はこの場に何度か書いてきた。
参 第7回 テーマ「フランス」)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1957974214&owner_id=3341406
参 第6回 テーマ「イギリス」‥ディスクによって)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1961987791&owner_id=3341406
参 第8回 テーマ「バレエ音楽」)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1965194490&owner_id=3341406
13:00開場だが、人気が次第に増してきているTBSKの演奏会は、ホール前に長い列ができる。全て自由席(入場無料)であるから、いい席で聴こうと思えば早く行かなくてはならない。
私は東京駅のロッカーに荷物を入れ、京浜東北線で川崎に出た。
12:00頃には到着、前から3列目程に並んだ。
途中で地階の店でハンバーガーを買い、列に戻って食べた。
おかげで、少し前過ぎるかもしれないが、ほぼセンターの4〜5列目辺りに座る事ができた。
TBSK管弦楽団はアマチュアの団体だが、そのプログラムには毎回感心している。その密度の濃さ、チャレンジングな性格、他に例をみない新奇性がある。
今回は、日も12/9を選ぶ凝りようで、テーマは「第9」。
12月に「第9」となれば、ベートーヴェンの《合唱付き》と誰しも思い込むところだが、違う。
当日の選曲は以下の通りで、その裏切り方は実に痛快である。
1. 交響曲第9番変ホ長調Op.70 ショスタコーヴィチ
2. 室内交響曲第1番(管弦楽版)Op.9(b) シェーンベルク
〜休憩〜
3. 交響曲《大地の歌》 マーラー
指揮 久世武史
少し説明が要るかもしれない。
1.はショスタコーヴィチの書いた9番目の交響曲であるから、それはいい。
2.は室内交響曲第１番だが、作品番号が「9」だとの事だ。
(b)が付いているのは、この曲、元々はシェーンベルクが15人の演奏者(全員ソリスト)のために作曲した小編成の交響曲だが、のち自身で管弦楽版を編曲している。(b)はそれを指す。
3.は番号が振られていない。
マーラーは第8番の交響曲(通称《千人の交響曲》)を作ったあと、自分の健康状態含めいくつかの懊悩を背負っていた。
「9番」の交響曲には、ベートーヴェン,シューベルト,ブルックナー等、良からぬジンクスが付いて回っている。
そこで、このリートが入った《大地の歌》に、マーラーは〈1テノールと1アルト(あるいはバリトン)声部とオーケストラのための交響曲〉と副題を付けたのである。
これが成功したのち、マーラーはひと安心したか、次に書いた純器楽作品を交響曲第９番とした。そして、更にその次の第10番に取り掛かっている時、マーラーは病死する。交響曲第10番は未完で終わった。
これで判るように、実質は《大地の歌》が9番目の交響曲なのである。
開演前にはプレコンサートを小編成で披露するのがTBSKの倣いになっているが、今回はドボルザークの《スラブ舞曲》第9番を管弦楽十重奏で持ってきた。無論これも計算の内である。
1曲ずつ少しばかりコメントをしていきたいと思う。
◆交響曲第９番変ホ長調Op.70 ドミートリイ・ショスタコーヴィチ(1906-75) 作曲1945/初演同
TBSK管弦楽団は上のように痛快な裏切りをし、観客も気持ち好く騙されたのだが、ショスタコーヴィチの場合、そうはいかなかった。
この曲を作ったのは1945年、第2次世界大戦が終わる前だった。
交響曲第7番《レニングラード》から始まった〈戦争三部作〉はこの第9番で完結する予定だった。ショスタコーヴィチ自身、これを書いている途中で「戦争の勝利を祝う合唱付きの曲」になるだろうとアナウンスした。
ソヴィエト連邦(当時)共産党当局も世の人々も、ベートーヴェンの「第9」を想像して完成を待った。この曲は〈勝利の交響曲〉という壮大な名が独り歩きしだした。
しかし、どういう訳か、出来上がったこの曲は5楽章制のわりには25分と規模が小さく、一聴したところ洒脱で軽妙な曲であった。合唱も使われていなかった。
専門家には無駄のない高密度の引き締まった曲だと判ったが、当局のおエライさん達は聴いて腹を立てた。「騙された」とは言わなかったが、ショスタコーヴィチは「堕落せる西欧ブルジョア文化追随の形式主義者」と、曲は「イデオロギー的確信の全然欠如した」「反民衆的」しろものとこき下ろされた。
これがいわゆる「ジダーノフ批判」(1948)と呼ばれるもので、ショスタコーヴィチは危機に瀕する事となる。巧い自己批判をしなければ、間違いなく粛清の対象になるだろう。
爾後の立ち回りについてここでは省く。
ショスタコーヴィチが自身の「第9」を敢えてこうした曲に仕上げた本心はもはや判らないが、大真面目で重厚長大なものが上であるとの音楽史的ヒエラルキーに対して揶揄を入れたかったのかもしれない。
曲の表向きの冗談や剽軽さの内には、暗い皮肉が見え隠れしている。
こうした二面性を表現するのはなかなか難しい。
◆室内交響曲第１番(管弦楽版)Op.9(b) アルノルト・シェーンベルク(1871-1951) 作曲1906/初演1907
先に書いたように、この曲は元々15人の奏者のために書かれた。15人は10人が管楽器、5人が弦楽器で、(第1と第2ヴァイオリン以外)同じ楽器の重複はない。つまり、15人は全員がソリストである。しかも、シェーンベルクは、ステージにおける15人の立ち位置も、古典的オーケストラとは違うレイアウトで指示をした。結果15人には強い緊張感が生まれる事になった。
しかし、これによって、シェーンベルクの極めて複雑に絡まった対位法の線の関係が明快になるという利点が生じた。
シェーンベルクのポリフォニーは、バロック時代のフーガ等とは比較にならない程多様なメロディと楽想を持っている。そして、それらが変容を繰り返しては様々な楽器に現れる。
加えて、シェーンベルクはこの曲により、ワーグナー以降の後期ロマン主義で過度に陥った大編成主義からの脱却をも企図していて、それも実現した。
また、構成としても、5つの部分を含む単一楽章として、20分そこそこにまとめ上げ、冗漫さのない簡潔にして濃密な音楽になった。
調性はまだ「無調」には至っていない。通してホ長調らしくは聞こえる。
しかし、4度音程を重ねる等して、調整を乗り越えようとする動きは強く感じられる。
2年後の1908年、シェーンベルクはソプラノ独唱付きの弦楽四重奏曲第2番で「無調音楽」を実現している。したがって、この曲はそれに向った試行錯誤の途上にあったとも言えるだろう。
「無調」とは、調性の「崩壊」とも言えるが、基音,属音,下属音等、音の序列のヒエラルキーから「自由」「対等」な関係を得ようとする手法とも言えるかもしれない。
15人の演奏家と、個々の音や楽想が対等に主張をする音楽であるからして、演奏は難しい。
それ以前の音楽はいろんな意味で「求心性」が働いていて、それ(主たるテーマやリズム,中心になる演奏家、調性等)に向って演奏を合わせていけばいい訳だが、この曲にはその求心性がない、と言うか、敢えて「分裂」していこうとする傾き、それぞれが対等を主張しようとしていく傾きがあるため、悪くするとバラバラに聞こえてしまう。
指揮者も大変だと思う、出だしの第1部分等特に、息を合わせるのが難しいように聴こえた。
◆交響曲《大地の歌》 グスタフ･マーラー(1860-1911) 作曲1908/初演1911
初演は1911年、作曲家が死んで6ヶ月後に行われた。
作曲が1908年という事は、シェーンベルクが上の室内交響曲第1番を作った2年後、無調の弦楽四重奏曲第2番を創作した年である。
ヨーロッパの音楽は、ようやく世紀末の時代を終え、第1次世界大戦が起こる前、激しい変動に晒されていた。そんな時代である。
一方で、後期ロマン派の作曲家が最後の花を咲かせ、一方で前衛作曲家が現代音楽のつぼみを開かせようとしていた。そうした、入り混じった時代でもある。
マーラーを「近代と現代の結節する作曲家」と表現する人もいる。
マーラーは、後期ロマン派と言っても、ラフマニノフ(1873-1943)のように、旧い手法に満足してそこから這い出ようともがかなかった作曲家ではない。彼の曲には驚く程新しい側面(多調や無調の要素も)があり、同時代は彼を理解し切れなかった。
彼の「やがて私の時代が来る」という言葉は、そうした背景での発言である。
マーラーは、冒頭でも書いた通り、第8番の交響曲を作ったあと、さまざまな苦悩に直面し、創作意欲を失っていた。
そういう中、1907年末にはメトロポリタン歌劇場の指揮者として招かれ、新天地アメリカに渡る事を決心、それと同じ頃かもう少しあとに、ハンス･ベートゲ(1876-1946)がドイツ語に翻訳した中国詩集『シナの笛』に出遭った。
マーラーはヨーロッパとは全く違う東洋の世界観、人間観に心を動かされた。
そして、この中のいくつかの詩を使って、リート付きの新しい交響曲を作曲する事とした。
ベートゲによると、中国詩の作者としては、李白(701-762)、銭起(710？-780？)、孟浩然(689-740)、王維(701-761)等の名が挙げられているが、これらの中には、漢語の原詩が見当たらないものもあって、ベートゲはかなり創作的翻訳をした可能性もあるようだ。
ここでは深入りはやめておく。
曲は6楽章あって、演奏時間は1時間前後。
第1〜第5楽章迄は、各々9分〜3分代で短いが、第6楽章のみ30分強かかる。奇妙なバランスだ。
第1,3,5楽章がテノール、第2,4,6楽章がアルト。男声と女声が交互に歌う。
作曲者に「アルトまたはバリトン」と指定されているので、共に男声という場合もある。
私が事前に聴いたCD(ラトル指揮バーミンガム市響)では、テノールとバリトンだった。
私は、やはりテノールとアルトの方が目先も音色も変わり、変化が愉しめるように思う。
今回の歌手は以下の通り。
・テノール 井出司
・アルト 森山京子
パンフレットにはメゾソプラノとなっているが、森山はたっぷりと重い低音を聴かせてくれた。
藤原歌劇団所属でオペラの経歴は豊富らしい、今回は堂々としていて、且つしみじみと心に迫る歌唱であった。
特に第6楽章〈告別〉は大変長く、困難な表現を求められる。タムタム等の低く圧力のある打楽器も加わり、チェロやフルート,オーボエ等との歌い合わせ部分もある。
〈告別〉と言っても、これ見よがしの大げさな慟哭でなく、大地の春が永遠に続く事と対比させて、深い諦念を表わす。
友に何処に行くのかと問われ、
「私は山の中を彷徨い、孤独な心の中の安らぎを求める、私の居場所を求めて！
私は決して遠くへ行きはしない。
私の心は安らかで、その時が来るのを待つ！」と答える。
そして、しっとりと甘美に、
「愛しい大地は春になれば至る所で花を咲かせ、新たに緑が萌える！
至る所に、そして永久に遥か彼方まで蒼く輝き続ける」と。
最後は、
「Ewig… ewig… (永遠に… 永遠に…)」と静かに繰り返し、オーケストラのピアニシモと伴に余韻を残しつつ消えていく。
感動深いラストだった。
(日本語訳は本演奏会のパンフレットに従った。)
マーラーは心臓に疾患を持ち、医者に永くないと言われていたから、これは恐らく自身の死生観ともつながっていたのだろう。
難しいチャレンジングなプログラムだったが、TBSK管弦楽団は深い感動を与えてくれた。
次回もまた、そうした充実したプログラムと演奏を聴かせて欲しいものだ。
愉しみにしている。
〈参考資料〉
・『最新名曲解説全集』第2巻「交響曲�供�,第3巻「交響曲�掘�
マーラー交響曲《大地の歌》の項、菅野浩和著。
シェーンベルク 室内交響曲第1番の項、入野義朗著。
ショスタコーヴィチ 交響曲第9番の項、戸田邦雄著。
・CD「シェーンベルク：《浄夜》/室内交響曲第1&2番」
指揮 ハインツ･ホリガー指揮
演奏 ヨーロッパ室内管弦楽団
録音 1989年6月/ウィーン 他
・CD「マーラー：交響曲《大地の歌》」
指揮 サイモン･ラトル
演奏 バーミンガム市交響楽団
録音 1995年12月
・CD「ショスタコーヴィチ交響曲全集」
指揮 ルドルフ･バルシャイ
演奏 WDR交響楽団(ケルン放送交響楽団)
録音 1992〜98年
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