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2018年02月15日23:01

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TBSK管弦楽団第8回定期演奏会〜「バレエ音楽」/ミューザ川崎

(続き)

2/11(土)、原美術館の後、品川からJR東海道線で川崎に戻り、駅前ビルのミューザ川崎へ。
ここの素晴らしいシンフォニーホールで、TBSK管弦楽団の第8回定期演奏会が開催されるのだ。
昨2017年の1月、私は初めてこの楽団の演奏会を聴いた。第7回定期演奏会、みなとみらいホール、テーマは「フランス」、allラヴェルプログラムだった。
演奏にも企画にも感動して帰り、以下の日記を書いたのだった。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1957974214&owner_id=3341406
当管弦楽団の起こりや、私との縁については、そこに記してある。

遡って、第6回の定期演奏会については、録画ディスクを拝借し、それを観させてもらった。テーマは「イギリス」、エルガー中心だった。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1961987791&owner_id=3341406
それを観ながら、刺激され、私もエルガーについて学び直したのだった。

前回は13:30開場との事で13:00前にはホールに着いたのだが、既に随分長い列ができていた。アマチュアオーケストラながら人気があるのに驚いた。
それで、今回は13:00開場に向けて12:10にはホール前に並んだ。4人ずつの列で10列目くらいにつく事ができた。
浜松のクラシック音楽ファンの友人を1人誘ってきたのだが、これならいい席で聴けそうでひと安心。
今回も入場無料の全席自由である。

テーマは「バレエ音楽」。プログラムは以下の通りである。

・アーロン・コープランド(1900-90/米)
バレエ組曲《アパラチアの春》
…13人編成の室内管弦楽曲として1944年作曲、同年ワシントンD.C.アメリカ議会図書館にて初演、振付マーサ・グレアム。
45年、フルオーケストラ用組曲に自身編曲。今回演奏するのはこれである。

・アレクサンドル・グラズノフ(1865-1936/露)
バレエ音楽《四季》
…1899〜1900年作曲、1900年サントペテルブルク・エルミタージュ劇場にて初演、振付マリウス・プティパ。

・イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971/露-仏-米)
バレエ音楽《春の祭典》
…1911〜13年作曲、1913年パリ・シャンゼリゼ劇場にてバレエ・リュス公演として初演、振付ヴァーツラフ・ニジンスキー。

加えて、プレコンサートは木管五重奏で、
・ストラヴィンスキー
バレエ音楽《ペトルーシュカ》より
…1910-11年作曲、1911年パリ・シャトレ座にてバレエ・リュスによる初演、振付ミハイル・フォーキン。

アンコールは、無論フルオーケストラで、
・同
バレエ音楽《火の鳥》より
…1909-10作曲、1910年パリ・オペラ座にてバレエ・リュスによる初演、振付ミハイル・フォーキン。

この通り、今回も筋の一本通った素晴らしい企画であった。
私は、こうした企画のあり方を見て、勝手ながら、指揮者久世武志がカリスマ性を発揮、教育的観点から、長期に亘るプログラムを組んでいるのだろうと思い込んでいた。
即ち、前にも書いたのだが、「プログラムがオーケストラを育てる」のであるからして。
しかし、今回、演奏会後に、知人であるオーケストラメンバーの親御さんに伺ったところ、選曲やテーマは楽団員の投票で決めているのだそうで、これには驚いた。
よほど意志の尖ったメンバーが多いのだろう。
プログラムの曲解説も、専門家に任せず楽団員それぞれが書いている。高い理解の下で演奏をしている事が伺えた。

各曲と作曲家及びその背景について、少しだけ触れておく。

コープランドは20世紀アメリカの代表的作曲家。
「20世紀」とは言っても、親しみ易い曲を作っていて、前衛という感じはない。
アメリカには、2度の大戦時に、ヨーロッパから亡命してきた作曲家がたくさんいた。シェーンベルクのような前衛中の前衛もいたし、ラフマニノフのような退嬰的な人もいて、カオスの坩堝ような状態だった。
アメリカ人の受容も様々だった。今でもアメリカには地球温暖化問題を「デッチアゲ」だと言っている人がいるし、人種差別・性差別が罷り通っているような地域や人々もいる。極端な保守と急進がごちゃ混ぜだ。

コープランドはユダヤ系ロシア移民の息子としてニューヨークに生まれたが、アメリカ民謡等を採り入れたりして、開拓時代の雰囲気を残す曲を書いた。
ジャズや十二音技法の試みもしたが、アメリカらしさとは、そのアイデンティティとは何かを模索した作曲家だった。
《アパラチアの春》というタイトルは後から付けられたらしく、単にバレエ曲として委嘱され、書き進められていた。
1800年代のペンシルベニアにおける開拓民、その新婚夫婦の暮らしぶりをイメージさせる内容だ。
全8場の内第7場に当たる部分は、プロテスタントの一派シェーカー教の音楽集からテーマを引用し、その様々な変奏が楽しめる。

こうしたのどかで豊かな曲が第2次大戦中の1944年に書かれ、バレエ公演も行われたというのは、日本人からすると驚きである。
アメリカは本土被害も経験せず、国力がどれ程温存されていたか、判ろうというものだ。
その頃の日本といえば「欲しがりません勝つ迄は」「進め一億火の玉だ」等いう標語が国民を一色に駆り立てていて、文化的活動は圧殺され、都市は空襲による被害が甚大化していった。
戦災はヨーロッパの大都市も呑み込んでいて、アジアも日本の侵略軍と連合軍が戦火をまみえて、唯一アメリカのみが直接的被害を受けず、戦需に経済は沸き返ったのである。これが戦後世界におけるアメリカの位置付けを生み出したと言えるだろう。


グラズノフは世紀末に最も輝いたロシアの作曲家である。20世紀に入ってからは(ソビエト連邦成立後は)、指揮者,教育家としての側面が目立ち、後を継いだストラヴィンスキーやショスタコーヴィチ等からは時代遅れの作家と見られた。
最晩年は、ソ連を出国し、二度と帰国しなかった。

彼のバレエ音楽《四季》は1899〜1900年にかけて、まさに世紀末、帝政ロシアの盛期に書かれ、初演された。
チャイコフスキー(1846-93)の三大バレエ曲は1875〜92年の間に連続して作曲され、バレエの中心はフランスからロシアに移った。これを振付で支えたのが、パリから招聘されたマリウス・プティパ(1818-1910)である。チャイコフスキーの三大バレエは、彼の振付によって初演または再演されて、世界的に受け容れられた。
チャイコフスキー没後のバレエ音楽の模索時代に、グラズノフのこの曲は作られ、やはりプティパにより振付が行われて初演を迎えた。1900年の事である。
その更に延長線上にバレエ・リュスの旗揚げ(1909)はあり、モダン・バレエの時代に入っていく。
プティパの振付はチャイコフスキーの後を追って終焉し(現代でも繰り返し再演はされているが)、フォーキン、ニジンスキー等の新しい振付が世に出る。特に後者のそれは、ストラヴィンスキーの前衛音楽と相俟って、現場は賛否両論のスキャンダルが沸き起こる事となる。
翌2/12(月)、私は、東京文化会館でハンブルク・バレエ公演《ニジンスキー》を観る事になっていて、結果的にとは言え、今回の上京は何かに導かれたかのようであった。

グラズノフの《四季》は1幕4場で構成され、ストーリーよりも各季節そのものを表現している。
ただ、面白いのは、四季というと春夏秋冬、春から始まるのが世界的に一般だと思うが、この曲は冬から始まる。
逆から言えば、秋の収穫、豊穣の祭りに1年の締め括りを見る、そのために、冬から始めたという訳だろう。
収穫祭にはワインも樽から出され、呑みながらバッカスを礼賛する。キリスト教を中心に見ると、バッカスは東方の異教の神であり、音楽もエキゾチックで粗野な魅力がある。
そして、各季節の主題が最後に今一度繰り返され、大きく盛り上がってアポテオーズとなる


さて、当日のメイン《春の祭典》である。
これについては、これ迄に繰り返し書いてきたので、重複は避けたい。
ニジンスキーが振付をしたバレエは残念ながら映像で残されていないが、学術的手法で復元がなされ、2009年にはBSで放送された。その再放送を、私は2016年になって見ている。
以下レポート参。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1953260396&owner_id=3341406
音楽史観点では、以下、静岡文化芸術大学の聴講レポート参。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1947395692&owner_id=3341406

ともかく、これをアマチュアオーケストラが演奏しようとするのは、大変な事である。
変拍子、可変拍子、複雑この上ないリズム、敢えて洗練から離れた原始的拍動、初演時、ダンサー達はニジンスキーによって120回も稽古を繰り返させられたと言う。
現代の演奏家達にとってもその困難さは同じだろう。
下手に指揮者を見ながら合わせようとすれば、却って遅れを取るに違いない。もはや指揮者のタクトは殆ど見ず、肉体で覚えるのが良いのではないか、と、そんな風に、当日の演奏を見ながら思ったのだった。
つまりダンサーも楽器演奏家も、ここに至っては同じである。

書くのが遅くなったが、当日座れた席は1階正面4列24,25番だった。これ以上ない座席だった。
席からは、舞台後方の打楽器群はともかく、オーケストラ各面々の生々しい表情や手の動きもよく見えた。
楽器の演奏方法も、尋常ならざるものが多々取り込まれていて、スリリングでさえあった。
踊り疲れた生贄が遂に大地に倒れ、その亡骸が太陽に向けて持ち上げられるのを頭の中で描つつ、興奮の中、打楽器の強打1つで演奏は終了した。
それと伴に、客席からは大きな歓声があちこちから飛んだ。
手に汗を握る演奏だった。


TBSK管弦楽団、次回第9回定期演奏会は今年末12/9、テーマは「第9」だそうだ。
これ迄の流れを汲めば、これがベートーヴェンの例の曲でない事は大方想像がつくだろう。
興味がある方は、ミューザ川崎に出かけてみるのをお勧めする。

(続く)
 
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