88年スーパー・ファイト・シリーズ最終戦5月7日、有明コロシアム大会、この日東京地方は朝から雨で、昼過ぎには雨足も強くなりました。
有明コロシアムは田園コロシアムに代わるテニスのメイン競技場としてオープンしたばかりで、当時は田コロ同様、屋根はついていませんでした。
5月7日は土曜日。私はこの時社会人3年目、営業に出て2年目でありまだ土日完全週休2日制でなく、土曜日は第1、4、月によって第5も出勤となるいわゆる「半ドン」でした。
インターネットのない時代ですので、昼過ぎに新日本プロレスの事務所に電話をし、本日の中止と翌日8日への延期を確認しましたが、電話が繋がり辛かった記憶があります。
翌8日日曜日は晴天となり、この時期の屋外会場は多少の寒さはありましたが、まずまずのコンディション。
メインイベントは藤波とビッグバン・ベイダーのIWGPヘビー級王座決定戦。先の4月27日、大阪府立体育会館でベイダーのパワーに圧倒されながらも辛くもリングアウト勝ちを拾った藤波が精神的には有利かと思われました。
観客席は空席はありましたがほぼ埋まり10250人満員の発表。
試合はベイダーが全体重を利したスプラッシュで攻勢に出ましたが、藤波も長州ばりの「掟やぶりの逆サソリ」で反撃。
藤波のバックドロップはベイダーの腹回りでグリップが効かずダメージは不十分でした。
場外戦となり、先に生還したベイダーに藤波はエプロンからロープ越しの前方回転エビ固め。
これをベイダーはロープを掴んで防御し倒れない。これを見ていたレフェリーのタイガー服部がロープに捕まっているベイダーの左手を蹴り上げました。
新日本プロレスのリングではミスター高橋がよくやる定番ムーブです。
服部に手を蹴られたベイダーは倒れて藤波に回転エビを許しましたがカウントは2。ところがこの服部のブレイクにベイダーが激怒。服部をリフトアップスラムで投げつけてしまいました。
ゴングが要請され16分2秒、ベイダーの反則負け。藤波は反則ながらベイダーに2連勝し、猪木が返上したIWGPヘビー級王座を獲得、第2代王者となりました。
試合後、マスコミの囲み取材に応じた藤波は「勝つには勝ったが、この勝ち方ではベルトを巻く訳にはいかない」としてベルトを脇に置いたまま記者団の質問に答えていました。
とにかく、団体の看板であるIWGPヘビー級王座のベルト獲得したことで飛龍革命は一歩前進。藤波はこれで木村健吾と組んで保持していたIWGPタッグ王座と併せて2冠王となりました。
セミファイナルでは馳浩が越中詩郎をノーザンライト・スープレックスホールドで破りIWGPジュニア・ヘビー級王座を防御。
若手の山田恵一は前田日明を苦しめたドン・ナカヤ・ニールセンと異種格闘技戦(3分7ラウンド)で対戦。
骨法仕込みの浴びせ蹴りで奮闘しましたが、相変わらずグラウンドに入るとニールセンの逃げは早くてつかまえられず、ニールセンのパンチの連発で4ラウンド1分3秒、レフェリーストップ負けとなりました。
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