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2017年02月23日14:40

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気付き  手の内

12日の発表会の前後の頃から薄らと浮かんできた仮説の裏付けを先日の音楽家講座でしていただいたように思う。

それはやはり左圧縮右解放に繋がるものなのだが、楽器を構える時の手指に関してのもの。

栴檀の手の内は、ロクな実力もないくせに、すぐにでしゃばってくる二の腕の働きを封印し、腰、脚と繋げるためのものだけれど、いわば、フルートの左手の構えも同様の「手の内」といっても良いと思う。

親指や手首の具合は、個々に任されているし、本当に奏者によってマチマチ。
これは当然だし、あるべき論で語られるメソードほど信じてはいけない、と思う。

でもでも、もし武術的な、身体全体の協調をめざしたいのであれば、のばした左手の親指はあり得ないんじゃないか、とすら思える。今の自分のレベルなので、見当違いなことを言っているかもしれないけれど、でも、この親指の取り扱いひとつで、身体がザザーっと変わるのが、今はとてもよくわかる。

今の私の左手は逆さ栴檀、とでも言える手の内である。

そして、右手。

ここが落とし穴だったことに、先ほどのレッスンで気が付いた。これだからレッスンは面白い。

これはフォルケルの伝記や肖像画、グリーペンケルルの証言などから推察される、バッハが本来おこなっていたであろう奏法、古いオルガンやチェンバロ奏者が普通に行っていた奏法にも通じる。

「卵を包むような手」では身体は繋がらない。

右手は、「オルガンを弾くバッハ」みたいな手の内。

これって、そのまんま、手裏剣の手の内じゃん!?と再発見。
鷹取の手の内によって作り出す、横隔膜を下げるための手の内にも通じているんじゃないか、と思う。

ということで、右手が大幅に変化。

生まれて初めてフルートを持ったような変な感じですが、こっちの方がずっと良いので、身体はこれをとても気に行った様子です。

ふと思い出したのはモイーズの右手。決してほ〜ら、一緒でしょ?!と言う訳ではないけれど・・・

あんな感じです。

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