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2016年12月29日11:22

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映画「こころに剣士を」

1950年、エストニアの西海岸にある小さな田舎町・ハープサル。
エンデル(マルト・アヴァンディ)が中学校の体育教師として赴任して来る。

しかし、彼はソ連の秘密警察に追われている身だった。
第二次大戦中、バルト三国は独ソ戦で蹂躙され、エンデルはドイツ軍に徴兵される。
戦後、バルト三国はソ連の支配下にはいったため、「ドイツ軍としてソ連に銃を向けた」人間には、容赦ない仕打ちが待っていた。
そのため、エンデルは母方の姓を名乗り、都会から離れた地方で生きることにしていた。
彼の過去を知る友人は、「目立たぬようにしろ」と電話で忠告して来る。

放課後のクラブ活動を任されたエンデルは、スキーをやろうと考えたものの、出世欲と保身ばかりの校長は「スキー用具は軍に寄付した」と言い放つ。
いい大学を出たエンデルをやっかみ、校長は何かと嫌味ばかり言うのだ。

息をひそめて田舎町で、実はあまり子ども好きでもないのに、学校の教師をすることへの無力感。
エンデルはかつてフェンシングの有力選手だった。
ある日、放課後の体育館で、何かを求めるようにひとりフェンシングの剣を振っていると、マルタ(リーサ・コッペル)がやってくる。

「なにをしてるの? わたしにも教えてください!」
と彼女は目を輝かせた。

ひとりじゃできないんだよ、と一度は断ったが、放課後の活動にフェンシングをやることを校内で告知すると、エンデルの前には何十人もの、男女の生徒たちが集まってきたのだ。

フェンシングの基本的な動作、体の動かし方からエンデルは教え始める。
実戦で使うような剣はないから、子どもたちと河原に出て葦を集め、それを剣に見立てて作らねばならなかった。

ヤーン(ヨーナス・コッフ)は、基本通りなかなかうまくできず、エンデルから厳しくしかられ、体育館を飛び出す。そんな彼に「必ず君を剣士にしてやる」とエンデルは励ます。

ある日ヤーンの祖父(レンビット・ウルフサク)がエンデルを訪ねてくる。
彼もかつてはフェンシングの選手だったのだ。孫が思いがけず、自分がドイツにいたころに打ち込んでいたフェンシングに夢中になっているのがうれしくてたまらなかった。
そして、もう使うことはないだろうと思っていた、フェンシングの防具や剣一式を、ヤーンに渡す。

エンデルの指導も熱が入り、フェンシング教室の子どもたちもみるみる上達していく。
学校の同僚のカドリ(ウルスラ・ラタセップ)は、子どもたちの多くが、スターリン政権下で、親を収容所に送られたりしてつらい思いをしている、フェンシングの練習の間はつらさを忘れられるのよ、と励ますように言う。

しかし、校長はそんなエンデルが面白くない。
「フェンシングは封建時代のスポーツ」と批判し、活動をやめさせようとした。

「古代から人間は、武器を手にして戦ってきました。フェンシングは封建時代の遺物などではないのです」と反論するエンデル。
そして子どもたちの家族もエンデルの援軍となった。
「マルクスだって、若いころフェンシングをやってたそうじゃないか」。
エンデルのフェンシング教室をめぐる「査問会」では、家族たちの圧倒的な賛成で存続が決まった。

ある日、ヤーンがレニングラードでフェンシングの全ソ連の大会が開催されるという記事を持ってくる。「試合に出たい!」と訴える子どもたち。

しかし、大都会のレニングラードに行けば、おたずね者の自分がすぐに目立って捕らわれるのは火を見るよりも明らかだった。
エンデルはいったんは「まだお前たちは技術が未熟で試合に出られるレベルじゃない」と、大会出場はダメだと言い続ける。

「なんでなの?」
妹たちの面倒を見ながらフェンシングに没頭してきたマルタは、納得がいかない。
みな、エンデルの「過去」を知らないのだ。
でも、練習するばかりでなく、試合に出てみたい、よその学校の生徒と対戦したい!
それはスポーツをやる少年少女のあたりまえの感情だった。

ついにエンデルはレニングラードに行くことを決意する。
旧知の友人からは、防具や剣のセットも届けられていた。
しかし、ずっとエンデルを苦々しく思っている校長は、腰ぎんちゃくのような先生にひそかにエンデルのことを調べさせていた。
そして、彼がかつてドイツ軍にいたこと、偽名を名乗っていることをつきとめる。

選抜された子どもたちとともに、列車でレニングラードに向かうエンデルは、覚悟を決めていた。
見送りに来たカドリと抱擁を交わす。
子どもたちは、大都会のレニングラードに大はしゃぎだ。

試合が始まった。
大都会の有力選手をそろえた学校にも臆することなく、子どもたちは堂々と戦う。
しかし、会場には、秘密警察の手が伸びていたー。


フィンランドのクラウス・ハロ監督作品。
学園に新風を巻き起こす先生が、生徒たちに慕われながらも、理解を得られず学園を去らざるを得ない・・・
という、昔からある「学園モノ」のジャンルと言えるかもしれない。
そう、ロビン・ウィリアムスの「今を生きる」のような。

しかし、そういうツボにはまったヒューマンな学園ドラマの側面も見せつつ、独ソという大国のはざまで悲劇をこうむった、エストニアという国の一面が静かに描かれているのが、この映画に深い感慨を呼び起こす。

映画を見ながら改めて、ああ、エストニアってソ連だったんだよね、と思う。
昔はサンクトペテルブルクじゃなくてレニングラードって言ってたよね、と。

主役のマルト・アヴァンディが「戦う剣士」にふさわしいかっこよさ、と思ったら、エストニア国内では知らぬ人のいない人気俳優なのだそうだ。
そして子どもたちがフェンシングというスポーツを通じて、希望と勇気を見出してゆく。ああ、スポーツって本来こうあるべきだな、と思わされる。

静かな映画だ。
控えめな音楽、地方の街の冬の光景、戦後間もないころの質素な生活などがかえって心にしみてゆく。そういう意味では先日観た「この世界の片隅に」と通ずるようなところがあると思う。

ただ、邦題の「こころに剣士を」はいただけないなあ。「るろうに剣心」じゃあるまいし(^^;
原題は「The Fencer」だから、そのものずばりで「剣士」でもよかったんじゃないか。

さて、ソ連に組み込まれてしまったエストニアは、ついに1991年、独立を果たす。
あのときのバルト三国の人々の晴れがましい様子は、忘れられない。

ついでに言うと、エストニアの人口は沖縄県よりも少ないのだ。
琉球独立だって非現実的じゃないよ、と映画を見ながら思ってしまったわたしだった。
(12月27日、テアトル梅田)
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