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2016年12月11日09:21

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喜びの秘訣

主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。(詩 23:1-2)

詩篇の23編を暗誦しているクリスチャンは多いと思われる。それほど有名な聖書箇所でダビデが書いた主に感謝し賛美を捧げる歌だ。どんな情景が見えるだろう。青い空、高原の広い牧草地、側にはきれいな水が流れ、いつでも飲める、実に明るく静寂な昼下がりの様子だ。緑の牧場に伏せるとは、犬が仰向けになって寝るのと同じように少しの不安もない平和な心持を意味する。

この時の現実のダビデの状況はといえば、敵襲を逃れて荒野に身を潜め、おそらく食料や水にも不足していたに違いない。ダビデは理想を語ったのだろうか。そうではない。現実を見ながらも、主がなしてくださる現実を先取りして見続けていたのだ。丁度巨人ゴリアテを小石で倒せると確信した昔日の少年ダビデのように。

聖書は「絶えず喜んでいなさい」と何度も繰り返し命じている。命令だ。見せ掛けだけでも喜んでいれば気分が晴れてくる、そんな意味ではない。多くの人が悲しい時に、落ち込んでいる時に喜べるはずがないと考える。それは感情で喜ぼうとするからだ。神がこの窮地からどう救い出してくださるか、それを期待するときに喜びが生まれるのだろう。

感情だけに支配されていると、したくない事はできない、愛せない者は永久に愛せない、絶望の深みからはどうやっても立ち上がれないから籠もっていると言う事になってしまう。それではキリストの命じることにひとつも従えないではないか。見せ掛けだけでも従おうとは勧めない。まずできない自分を何がどうしてどれほど苦しいのかを祈りの中でさらけ出そう。そうすれば、自分の何が間違っているか答えが与えられると同時に立ち直れる力も取り戻せるはずだ。

今年の流行語大賞は「神っている」だそうだ。神はすぐそこにおられる。本当は神がかり的にわけのわからないうちに万歳と叫べればいいのかもしれないが、神は最後の一歩を自分で踏み出して私に近付きなさいと命じている。神って見える時はあるかもしれないが、それは偶然だ。だから困難に直面しても真摯に祈ろう。そうすれば喜びと感謝が湧き上がり、そのゆとりの中で解決の道も開かれるだろう。




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