夜の幻想的な情景を描くピアノの伴奏が印象的だ。ヨーロッパではふくろうは幸運のシンボルとされることも多いようだ。森の近くでは珍しくもないのかもしれないが、僕は日常の中でフクロウを見たことはない。とても馴染みがある生き物だが同時に神秘的な気配が
さすがにフォーレの歌曲の中でも有名な歌、様々な声楽家の熱唱の録音が残されている。ピアノに海の情景が表れているような気もするが、深い悲しみを負いながら自分を叱咤し生きていく男の気持ちが歌の旋律に感じられる。漁夫の気持ちはどんな世界に生きる男で
「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。
世界的に有名なメーテルリンクの作品はいくつもあるが、その詩を元に書かれた歌曲は極めて少ない。その少ない中でショーソンの5曲からなる「温室」がもっとも有名だ。この曲はその第1曲目にあたり、曲名も曲集と同一のタイトルが付けられている。厳密には曲集
ガーニーはイギリスの20世紀の歌曲王とも言える存在だが日本ではまだごく一部の人にしか知られていない。ガーニー自身詩人でもあり数百の作品が残されているようだが、イギリスでも作曲家としての認知度の方が高く、詩人として見直されたのは比較的最近のこと
天国的な優美な音楽と勘違いしてもおかしくない古風な歌だが歌詞を知れば愕然とするかもしれない。あまりにも世俗的な、今も昔も変わらない真実をついている。それゆえにデプレの曲の中でも良く知られているんだろう。今日的には伴奏と歌詞のギャップを楽しめ
第1楽章、まさしく古き日の霧の立ち込めたロンドンのイメージで始まる。ビッグベンの鐘の音も雲に覆われているようにくぐもっている。突如フォルテの一撃で情景が転換する。ノートルダム寺院の怪人が姿を現したような雰囲気。ロンドンなら正体不明の切り裂き
テナーサックス、トランペット、打楽器とピアノのための四重奏曲だが数種類の打楽器が持ち替えで用いえられていて色調は多彩で効果は曲のイメージを数倍高めている。第1楽章の冒頭はティンパニーのソロで始まり、すぐにトランペットが参入する。一種のファン
第1楽章「降誕」、つまりクリスマスだ。啓示された神秘な夜にふさわしく静謐な情景を映し出すがほどなく低弦が不安に怯えるようにざわめき始め、総奏で劇的な盛り上がりを見せたところでハープが入り場を清める。続いてホルンが牧歌的な美しい旋律を歌い出す
第1楽章、冒頭に置かれたエネルギーの迸りを感じる第1主題が意表をつく。力強い推進力で突き進んだ後に穏やかな第2主題がヴィオラやチェロによって歌われる。弦楽器の層の微妙な協調関係が極めて美しく響く。第1主題を再現して生気を抑えながらあっさりと曲を
「また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いてただ聞くだけのものであってはいけません。」(ヤコブ 1:22)ヤコブは御言葉の実践をことさら強調している。聖書の他の箇所では信じれば無条件で救われる。行いによって救われるものはいないと繰り返
低い音程で象が重い体をやっとの事で動かしている様子をユーモラスに描いている。五音階なのは象という珍しい生き物が東南アジア出身なことを意識した上での表現なのだろう。主題がさらに細かい断片となって遊んでいて、そこにちょっと分かりにくい第2主題が
無限の力を象徴する太陽を通して神に感謝を表す一種の讃美歌なのだろう。力強い合唱曲だ。中間部にコントラルトのソロを挟んだABAの形式になっているが、男性四部合唱まで含んだ凝ったつくりをしている。気になったのは3手のピアノ伴奏による合唱曲と紹介され
第1楽章、やや陰りのある第1主題が長調の明るい第2主題に慰めを受けて活気を取り戻すような雰囲気だ。第2楽章、単純な伴奏音型に乗ってオーボエのモノローグが繰り広げられる。オーボエの提示する単純な主題が延々と繰り返されだけで大きな盛り上がりもない
遠くの方で蜃気楼のようにホルンの音がもの悲しげに主題を歌い出し、様々な管楽器に旋律が受け継がれ管弦楽に橋渡しされ大きく高揚した所でピアノが厳かに登場し主題を変奏して行く。作曲者自身は人間の悲しみと誠実を描きたかったと語っているようだが、滔々
第1楽章「アラビア:象」、タイトルに従って象がのっそりと歩いているような印象もないわけではないが、もっと陰気な葬列のような雰囲気が強い。中間部で少し高揚するが基本的に同じ降下音型の繰り返しで構成され、それが足どりを重くしている。サーカスの人
第1楽章「受胎告知」、短い導入のファンファーレは晴れやかな祝辞を告げる天使のラッパにふさわしい上昇音型で表現される。マリアにとっては多分に戸惑いも大きかっただろう。音楽は遠い国の夜空にひときわ輝いた星を見た東方の賢者たちの旅支度の情景にスパ
大都会を訪れた田舎者の戸惑いを描いた音楽作品があるが、この曲には週末を田舎で過ごす都会人の驚きを描いた作品だと感じた。冒頭の魅力的な音色を聞いたら予定外でも途中下車してちょっと散策したい気分にならないだろうか。気ままに揺れる強弱の使い分けや
「すると主の使いが彼に、現われた。柴の中の火の炎の中であった。よく見ると、火で燃えていたのに柴は焼け尽きなかった。」(出エジプト 3:2)モーセはユダヤ人だったエジプトの王女に拾われ王子として育てられた。上手く立ち回ったなら権勢をほしいままに動
夕闇が深く見通しが悪い雰囲気で曲が始まる。透明感のある音色だが殺意を秘めた者がどこかに潜んでいる気配をしきりに感じる。闇に灯る街灯もどこか頼りなげで肌寒い。空を見上げれば青空が広がっているのに誰も上を仰ぎ見ようとせずに心は恐ろしさに萎縮して
クラリネットのくぐもった音色で音楽が開始する。「ああなんと言う涼しさが今谷に満ちていることか」という詩の冒頭を表しているのだろうが音楽的には期待にそうほどの爽やかさは希薄で不活性化した冷風が淀んでいるような不思議な印象を受ける。「そこには愛
クラリネットに誘われて子供の世界が開かれる。子供は純真無垢であると信じたい幻想が広がるとも言える。今日では子供が純真に育つ宗教的、道徳的な環境が残念ながら失われている。社会が悪いと言う前に躾をしない親が増えているのも事実だ。詩は画家でもある
この曲を聴いたことある人はどのくらいいるのだろう。坂本九が最初に披露したのが1961年と言うことなのでだいぶ昔の話だ。オリジナル版は永六輔作詞による「上を向いて歩こう」で当初は永六輔が自分で歌うつもりだったようだ。翌年1962年にはカバー曲がSUKIYA
聴いていて気持ちの良い音楽だ。天候異変で世界が滅びるなら極地に近い所の生存率が高いと言う説もある。それでブエネス・アイレスが出てくるのかとも思ったが、この歌がそんなことを意図しているとも思えない。命をも海に委ねた男の独白の歌なのかもしれない
第1楽章、冒頭から木管による小鳥のさえずりが聞こえて来る。基本的にこの動機が楽器を変えながら最後まで反復されるが音色とオーケストラの厚みを変化させて楽しく聞ける。中間部ではにわか雨に濡れたかのように少し乱れ、雨の行方を心配するような気配が立
編曲版もいろいろ出ているがオリジナルはギターのための作品。冒頭からチベットのような秘境の地で聞こえる大地の鼓動のような雰囲気を感じる。ギターは膝の上に横に寝かせて用いられ打楽器として扱われる。胴を打つと弦が共鳴する、そこに自然界の語りかけを
「ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」(ヘブル4:16)すべての罪はキリストの十字架で贖われた。だから十字架の下に救いがある。その通りで間違っ
第1楽章「粘り強く」、地の上に黒い毒ガスがじわじわと広がっていくように管楽器の混沌とした響きがじわじわと広がる。弦楽器が乱入して音響の実験室は不定形の音塊で飽和状態になる。暗黒街を通り抜ける緊張感が背筋に伝わって来る。鞭の一撃がやけに印象的
いたずらっ子が追いかけごっこをしているような雰囲気もある底抜けに愉快な小品。「熊蜂」の姉妹編とも言えそうだ。小刻みに急速に動く弓によって紡がれる音はまさに小さな虫の羽音のようだ。小品ながら技巧的な展開は殆ど唖然とするレベルに達しているようだ
2008年のミュージカル「クレオパトラ」で主役を演じたソフィア・エサイディが歌ったナンバーのひとつ。ミュージカルを観た事はないが、古代エジプトを舞台にした史劇的な要素はさぞや熱い視線を浴びた事だろう。エサイディは1984年8月6日、カサブランカで生ま