第1曲、昔のことを回顧するような懐かしさの中に溺れてしまいそうな優しい出だしで始まる。頭の中の時計が逆回りに回転して気が付くと、すっかり忘れていた時代に遡っている。セピア色の光景が色を取り戻して爽やかな風に揺れている。見たくない嫌な思い出は
礼拝堂の朝の鐘が陰鬱に響くのは気のせいだろうか。もちろん短調だからと言うこともあるが、朝の祈りをして、命に溢れて一日の活動を始める時なのに、なぜか気持ちがそぞろだ。きっと「サウンド・オブ・ミュージック」のマリアのように外の生活に惹かれていて身
穏やかな海を見下ろし、この海にいくつの魂が飲み込まれてしまったのかと思うと、自然と涙が出てくる。子供の魂が浮かび上がって天に飛び立つような印象をチェロの音律に受ける。もう泣かないで、私は天国でも楽しく暮らしているから。ここからは地上の全てが
「彼は言った。『父よ。ではお願いです。ラザロを私の父の家に送ってください。私には兄弟が五人ありますが、彼らまでこんな苦しみの場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。しかしアブラハムは言った。『彼らには、モーセと預言者があります
世界には大勢の人がいて、みんな同じ時間の流れにいて、同じひとつの太陽の下の同じひとつ大地に国籍や肌の色は違っても住んでいる。いくらみんな違う意見を持ち、違う夢を描いていても、いがみ合って何が面白いと言う歌のようだ。凡庸ではあるが、歌も声にも
元歌はイタリア語のカンツォーネだが、フランス語版で歌われてから大ヒットした。時期的に第2次世界大戦が開戦した頃で、恋人を戦地に送り出した女性の共感を引き起こしたのだろう。カンツォーネの方は知らないが、フランス語版は男性歌手によって歌われるこ
窓辺に飾られた花が朝日を受けてにこやかに微笑んでいる。おはようございます暖かい日差しがとても爽やかですね。私たちも精一杯、愛でてくれる人たちの目を楽しませてあげたいですね。朝露に濡れた葉を元気に広げて、身づくろいを始める。クラリネットが家の
第1楽章、劇的なドラマの幕明けにはふさわしい静かに揺れる序奏は新しい時代への変転を予測させる波が強まり、トランペットがファンファーレ風に飛び出すと、勢いを得て冒険譚のように闊達に展開し始める。勇壮な主題は叙情的な面と格好良さを持ち合わせてい
第1曲「宣言」、キリストの言葉の力と権威を信じないで、なおも罪を重ねる滅びの子らの罪を指摘し悔い改めを求める神の声が過激な打楽器の一打に込められているような感じがする。曲調は暗く重いのは人間的な感情表現だろう。神はすべてを赦す方ではあっても
グレインジャーは交響曲や協奏曲のような既存の形式を用いた大きな作品がないためか、二流の作曲家と思われているようだ。歌曲を中心に編曲物を含めて作品数は1200を超えるようだ。民謡の採集においては過小評価できないと思う。この「フォスターに捧ぐ」はパ
水辺の岩に座って足を浸したり、水を蹴る体験は誰にもあるだろう。たったそれだけのことだが本能的に小さな満足感が生まれる。穏やかな波にはマッサージ効果のようなものもありそうな気がする。この曲はグリッサンドだけでできている。音楽ともいえない断片だ
「ロトが目を上げて眺めると、ヨルダン川流域の低地一帯は、主がソドムとゴモラを滅ぼす前であったので、ツォアルに至るまで、主の園のように、エジプトの国のように、見渡すかぎりよく潤っていた。ロトはヨルダン川流域の低地一帯を選んで、東へ移って行った
ある時一匹の痩せこけたボロ雑巾みたいな野良猫がさまよいこんで来た。もう何日も何も食べていないような状態でふらふらしていた。それでも必死になってヘイゼル家の飼い猫クラーケンから餌を盗み取ろうとしていた。こうしてヘイゼル家の一員になったわけだが
ヴァイオリンとトロンボーンが酩酊へと誘う。音楽的には心地好さよりは警鐘の意味合いの強さを感じる。弱音器をつけて頭がぼんやりしてきて、呂律が回らなくなったグループの崩れ落ちる様子を描く。天国に続く階段が見える。そんなふらふらの状態で階段にしが
第1曲、「うまくいくさ」、比較的陽気で楽しい舞曲だ。何が旨く行くのかと言えば貴族を吊るせ、縛り首にしろというものだ。マリー・アントワネットも好んでクラヴサンで弾いていたようだ。もちろん日増しに過激になる歌詞が付く前の話で、歌詞は当時の流行歌
同時多発テロの犠牲者へ手向けるレクイエム的な音楽だが、あまりに記録的な描写になっているため、通常の音楽鑑賞のように耳で聞かずに、心に焼きついた映像の付帯音楽として感じ取るのが良いだろう。繰り返し聴いてみたくなるような音楽ではない。実際の報道
美しさに固執する馬鹿馬鹿しい詩を読んでも繰り返しが多いだけで屑としか思えないが、これに旋律が付けられると評価は一転する。このアリアは「タイス」の中でも有名な場面で単独で歌われる優れたアリアとされる。不思議だがオペラのアリアとはそんなものが多
シラクサはチュニジアにあるイスラム教徒にとっての聖地とされる。この歌に出てくる地名は殆ど世界遺産として登録されている所。空中庭園は紀元前500年頃破壊されたので現存しない。ヴェロナの恋人たちとは当然ロミオとジュリエットを指す。日本の呼称を日の
第1楽章「無邪気に」、都会的なすさんだ音色で開始。チェロの重い旋律が管の脅しに力を失う。油断すると危ない気配の裏町の情景とそんな所に咲いた希望の花が交差する。ウェスト・サイド・ストーリーのような非行少年グループの抗争を背景にするとぴったりの
「昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って、こう言いました。『恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。』ですから、皆さん。元
歌そのものはリズム感があってとても楽しそうな雰囲気だが、内容的には妻に浮気されて、自分も仕返ししてやろうじゃないかと花街に出かけて新境地に浸っている男の歌。この男は多分真面目で仕事一筋、それなりの地位を持っている人物だと思うのでまさかこんな
冒頭でピアノの弦を打ち鳴らす低い連打音が響く。旋律ではなく単音だからよけいに不気味な感じがする。ほら貝のような怪しい笛が聞こえ、異様な気配に包まれる。夜の森に潜む化け物と対峙するような恐怖感が強くなる。太鼓と木管の非連続的音響が心の安らぎ奪
序奏、怪人の出現を表わすような劇的な咆哮で始まる。ホルンが提示する主題は伸び伸びしているのだが打楽器が怒りを爆発させたように迫るのでちょっと構えてしまう。さて、どんな奇怪劇が始まるのか。11の変奏曲、変奏部に入り、がらっと変わって、ピアノ独奏
第1楽章、トランペットのソロが管楽の靄の中から朝の到来を告げる。弦楽が動機を受け継ぎ、強い風となって靄を払う。管楽が穏やかな清流を見せる。曲は高揚し、少し寒気を感じさせる響きの中であたりを取り囲む絶景を映し出す。第2楽章、雰囲気はあまり変わら
グレコが歌ったシャンソンの中でも名曲と言われている。この歌の作曲がコズマだとは今の今まで知らなかった。さすがと言える名旋律。多くの人に歌い継がれて、今では世界中で愛されている曲のひとつ。髪を整えていない女の子は、原語ではぼさぼさ髪の娘だが、
愛の力と言うよりは執着の怖さを思い知らされる内容だと思う。曲調は暗いがどうしてこれほど典雅に聞こえるのか不思議だ。この時代の人も美しい歌だと思ったのだろうか。中世の歌と言うと宗教音楽ばかり有名で、実際優れた音楽が多い。オケゲムもそんな人だと
幼児が三輪車に乗っているイメージが湧いて来た。柔らかく肌をなでる陽射しと子供たちの歓声に包まれて穏やかな時間があっという間に過ぎてしまう。このゆったりした幸福感を額縁にそっくり収めたらきっと素的な装飾になるだろう。子供は幸福を見つけるのが上
「そこで、この人たちは、上着や下着やかぶり物の衣服を着たまま縛られて、火の燃える炉の中に投げ込まれた。王の命令がきびしく、炉がはなはだ熱かったので、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴを連れて来た者たちは、その火炎に焼き殺された。シャデラク、
第1楽章「混合」、タイトルの意味は以下楽器別に分かれる各楽章の全てを使うフル編成と言う意味だ。広い牧草地に放たれた牛が牧童に追われて畜舎に戻る様子を思い描いた。カウベルがあちこちでなっている。とてものどかな情景を守ろうとする地中に秘められた
第1楽章、フェリックス君は誰かにつけられていると気付き一目散に逃げるが相手は執拗に追いかけてくる。体力にはそれなりの自信があるし、難なく引き離せるはずだったが好奇心が頭をもたげた。誰が何のために?わざと遠回りをして相手の正体を見定めようと機