第1楽章、優しい表情で追憶的な抒情詩と感じるのは最初の数分、テンポを速めてアレグロになると懐古趣味は吹き払われて現代的な和声が現れる。しかし透明感があって決して不快感を招くことはない。ポタポタと落ちる水滴を見るような音楽だ。水滴は波紋を生ん
聖書に基づく6つの歌曲集の第6曲に当たる作品でしばしば単独で歌われる。歌詞は聖書外典のシラ書の英語版をベースにしているがかなり手を加えているようだ。原典はヘブル語で書かれているが通常の聖書には含まれていない。スタンフォードは1852年9月30日、
狩の雄々しさの象徴だろうか。ピアノのユニゾンの強い打鍵で曲が始まり、ホルンの朗々とした旋律が森の情景を歌う。のどかでもあるが、狩の開始告げられ呼応も聞こえて来る。中間部ではホルンの甘美な歌が聴きものだ。やや暗い表情の中に森の中の木陰に見え隠
宗教的な内容の歌曲集「賛歌」の中の一曲で教会の礼拝用の実用音楽として作曲された。冒頭のオルガンの序奏から明るく祝福に満ちている。歌詞からすればキリストの昇天を見送る使徒たちの喜びと再臨の期待が歌いこまれているようだ。現在でも教会で歌われてい
「『どうか、わたしにも渡って行かせ、ヨルダン川の向こうの良い土地、美しい山、またレバノン山を見せてください。』しかし主は、あなたたちのゆえにわたしに向かって憤り、祈りを聞こうとされなかった。主はわたしに言われた。『もうよい。この事を二度と口
総奏による華やかな主題の提示で厳かな式典の幕が開く。堂々とした雰囲気だが木管の柔らかい響きが目立つ。クラリネットセクションによる主題の反復を挟んでいかにも慶事にふさわしく進行する。繰り返しに過ぎないが音色は微妙に変化し山場を築く。ティンパニ
第1曲「行進曲」、お尻を右に左に振り振り、お母さんアヒルを先頭に並んでついて行く子アヒルの行列を連想した。こんなかわいい行進曲ならピアノの前に座った子供もおさらいに夢中になりそうだ。ちゃんと前を見てついて行かないと列が乱れる。終結部でさらっ
とても癖のある歌だが面白い。コメディ的な表現を試みた応援歌ともいえそうだ。ドミニク・ミシェルは1932年9月24日生まれの女優。19歳の頃からモントリオールの有名なキャバレーの歌手として活躍していたようだ。ギュイ・ラフレールは1970年代から90年頃まで活
マンチェスターと聞くと何を想像するだろう。ロンドンから北西部に向かって列車で3時間くらい離れた地域。産業革命の中心地、BBCフィルの本拠地、クラシックだけでなくすべてのジャンルの音楽の中心地ともなっている。この音楽作品は「ピータールーの虐殺」と
タイトルと同じように子供のように舌足らずの歌い方をしている。コケティッシュともいえる。今風ともいえるのだろうか。ケール・ドゥ・ピラットは1989年9月22日に生まれたモントリオール出身の歌手。芸名は海賊の心を意味する。デビュー・アルバムのタイトルを
第1曲、遠足にでも行くような楽しい気分の弦楽合奏に主題が表れオーボエが受け継ぎさらにフルートへと引き継がれる。軽やかに足を弾ませながら前進しているようだ。日差しといい気温といい、絶好の条件が整った散策は疲れ知らずかも。第2曲、フルートが低音で
侘しくハープが掻き鳴らされる。冒頭ではクラリネットがかぶさっていて独特の色合いを出している。北欧の吟遊詩人がカンテレを用いたこともあったのかもしれない。ハープはその代用として用いられている。何かを切々と訴えているだけで、音色はとてもきれいだ
「そのようなものは、人間の好き勝手な礼拝とか、謙遜とか、または、肉体の苦行などのゆえに賢いもののように見えますが、肉のほしいままな欲望に対しては、何のききめもないのです。」(コロサイ 2:23)そのようなものとは律法に従う禁欲的な生活のことだ。
海底に蓄えられたエネルギーが揺れ動くような唸りが低弦で奏され主題が形成される。主題は次々と管楽器に受け渡され闇の帝国が全貌を露にする。短く不吉な主題が執拗に繰り返された後にホルンのファンファーレあたりから甘い誘いに乗った不穏分子が借り出され
ファーラーは若くて戦死してしまったため、その作品がまだ整理されていないようだ。ポツポツと歌曲を聴き進めている。若い頃のフィンジが師の死に直面し大きな痛手を心に抱えたことは良く知られている。師弟関係と言っても年齢差は15歳くらい。友人感覚だった
日本でもカリフォルニア産のワインが普及しているが、なぜワインの産地として有名になったのだろう。実は18世紀に当時スペイン領だったメキシコのフランシスコ会の修道士がサンディエゴに伝道所を開き、道なき道を切り開きながら北上する布教の旅を始め道沿い
セピア色の写真を見るような懐かしさを感じる音楽だ。日本でシャンソンと呼ばれる歌の雰囲気を良く出している。情熱的な恋も良いけれど、ほのぼのとした恋も傍で見ているとじれったいけれど燃え尽きない美しさに打たれる。静物画を眺めるような味わいか。こん
第1曲、木管の柔らかい音色で心の中に湧き上がる不安感を描いているのだろう。焦燥感が募り一気に爆発しそうになるが信仰とも言えるほどの安堵に満たされて平安を取り戻す。生きているうちに母に会えるかと不安を覚えたがウィーンの朝の天気が素晴らしいので
第1楽章「導入」、ピアノによる分散和音の上昇音型にのってフルートが舞い上がる。東洋的な雰囲気が濃厚だ。一日の幕開けでまだ薄闇が晴れていない情景にフルートの息吹が精彩を放っている。完全に現代音楽的な展開だ。打楽器の連打で次の楽章に移る。第2楽章
農道をおんぼろ車に乗って走る。スピードは出ていないけど舗装してない道をガタゴト走ると小石がはねる。でこぼこ道だから車は揺れるがそれが苦にならず冒険談のネタになりそうだ。リズミカルで活き活きとした旋律にユーモアを感じる。畑で作業する人たち、牛
「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。自分を知恵のある者と思うな。主を恐れて、悪から離れよ。」(箴言3:5-7)今年の夏もスイカ割をした、見たとい
ミシェル・ジョナスが歌いヒットしたのは40年も前の話だが2003年にベルギー出身のジョナタン・セラダが歌って再び注目された歌。待っても現れない人への一途な思い。深刻ではなくてさらっとしているのが気持ちよい。ジョナタン・セラダは幼い頃はオペラ歌手を
死んだ機械の自動演奏のように聞こえてもそうではない。単旋律で弾かれるピアノの旋律の美しさが際立っている。上昇型と下降型を繰り返し、弦楽器が全音符で絡みつく蔦のように命を繋ぎ伸ばしていく。アクセントをなす和音は三和音を構成する二つの音が同時に
最初の一節はシェクスピアの戯曲「十二夜」の台詞をそっくり引用しているが第二節以降は全く創作されている。格調高く歌われる俗謡だが、高遠な表現で実にきわどい告白をしているようだ。おそらく失恋の歌なのだろうけれど。パーセルは言うまでもなく、イギリス
マラルメの幻惑的な詩を用いた歌曲。弦楽のほのかなざわめきで始まり、マラルメの不思議な世界をそれにふさわしい音色で描いている。伴奏の楽器編成は弦楽合奏にクラリネットとフルート、ピアノが加わっている。この変わった音色の彩が非現実的な幻想に溶け合
幼い兄と妹が神社の境内の階段に腰掛けて空を見上げている。天上に輝く星はふたりにとっては拾い集めた貝殻よりも、お母さんの首飾りよりももっと美しく大事なもの。いつまで見ていても飽きずふたりの間の話し声もいつの間にか静まり何か分からない魅力的な情
適切なことばは必要だが時には黙っていた方がいい場合もある。多くの場合言いたいことだけ言って相手の話は聞いていない人が増えている。寡黙がいいとは思わないが、しゃべりすぎて失敗する人は多い。この歌にそんな背景があるかどうかわからないが、ことばの
フォーレの歌曲の中でも屈指の名曲として知られているだけあって、声楽家が競って歌っている。愛し合うふたりが川辺で過ごす楽しい時間。言葉数は少なくても心が通じ合っている喜び。燃えるような恋ではないけれど穏やかなパステル色の恋が短調の旋律に乗って
「あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない。そこで、あなたに勧める。富む者となるために、わたしから