第1曲「泉と鐘」、モンポウの住んでいた家の庭にあった噴水を描いたと言われる。日本語では「泉」と訳されるのが通常だが「噴水と鐘」とした方がイメージ的により近いのかもしれない。鐘は近所の教会から聞こえてくるのだろうか。低音で淡々と鳴らされる。中
プロムナードはフランス語で散歩を意味する。音楽の世界では「展覧会」の各場面のつなぎの曲に同じタイトルが使われているのを思い出すだろう。この曲はアンダーソンがワシントンの情報部に勤務していた頃に書かれたそうだ。大都会のアメリカ人らしくせかせか
プロムナードはフランス語で散歩を意味する。音楽の世界では「展覧会」の各場面のつなぎの曲に同じタイトルが使われているのを思い出すだろう。この曲はアンダーソンがワシントンの情報部に勤務していた頃に書かれたそうだ。大都会のアメリカ人らしくせかせか
情熱的でありながらさっぱりした雰囲気の歌だ。ひと目ぼれしたけれど、相手にされていないのかもしれない。ジタンとはロマの別称で呼び方はいろいろある。かつてロマは閉鎖的な生活集団を作っているため周囲の住民とは殆ど接点がなかったが近年では少しずつ変
「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」(エレミヤ 29:11)バビロン捕囚の時代の預言をエレミヤが告げた。故国を追われ遠いバビロ
二つの音塊があってある時は完全に分離し別の時には互いに溶け込むかのように重なり合う。音塊の内部は分子構造のような緻密な運行が見られる。単純だが奥行きは深い。何を言いたいのか形式があるのかは理解を超える。雑然とした動きの中に宇宙の揺籃期が見え
変わっていないというのが言い訳なのか、それとも彼女が一方的に離れてしまったのか分からない。小さなことが大きな溝を作ってしまうことがある。気付いたときにはもう修復の手立てがない。だから人との付き合いは慣れすぎても鈍感すぎても良い結果を生まない
父親の心境を語った歌は意外に少ないような気がする。オペラ「ルイーズ」のどんな場面で歌われたか知らないが、想像するに愛する人のためなら親も捨てるという娘の反抗に愕然としているのではないだろうか。どんな困難があっても愛を貫く姿勢も感動的ではある
ドレミの音階名がグレゴリオ聖歌のラテン語の歌詞から取られたことは比較的良く知られている。10世紀頃の「ヨハネの賛歌」が一節ずつ上昇音階を成しているためその箇所に付けられた語句の第一音節を取り出したものが、順にUt、Re、Mi、Fa、Sol、Laとなった。S
第1曲「苦力の英雄的な踊り」、冒頭からエネルギーに満ちた音楽がシロフォンと打楽器に現れる。クーリーとは力仕事を請け負う下層階級の労働者や奴隷を意味するがこのバレエでは一般の港湾労働者や船乗りを指しているようだ。英雄的と言う表現には無理を感じ
ミヨーは南仏エクサンプロヴァンスに生まれたフランス人。両親共にユダヤ人だがミヨーの音楽にユダヤ的な旋律が用いられたことはあまりない。この歌曲集「ユダヤの詩」は8曲からなり「乳母の歌」は最初の曲。ミヨーがたまたま雑誌で見かけた一連の投稿詩に興
低弦で孤高の宇宙を描いているようだ。星々は見えてもそこまでの距離は人間では実感できないほど遠い世界。言葉に表せない冷たさを湛えた神秘の天空に未来への夢と過去の呵責の念が蜃気楼のように重なって目に映る。漂う波のような単調な低弦の響きに幻術的な
「しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私
彼と別れた彼女はひとり故郷に戻って来た。彼のいる所はもっと寒い地のようだ。北国に戻る鳥と共に飛んで帰りたい気持ちはあるけれど、また裏切られるだけと諦めているような情景だろうか。音楽はとても美しい。ユキホオジロは小さな雀にも似た鳥でSnowbirdの
管楽器による厳粛な導入がハープのアルペジオによって和らげられる。幻想的な雰囲気が一気に広がり高潮に至り、運命の過酷な差配を受け入れ顔を上げて決然と裁きを受け入れようとする主人公の気持ちが読み取れるようだ。濁りのない清楚な雰囲気で曲を閉じる。
チェロのピチカートに乗ってヴィラフォンの透明な音色で民謡風に歌いだす。しばらくすると弦楽合奏が加わり、さらに独奏ヴァイオリンが入ってヴィラフォンとの二重協奏曲風になる。遥かな昔ペルシャに自生していたジャスミンは中国へヨーロッパへと長い旅の果
オペラ「ファウスト」の第4幕で歌われる有名な合唱曲。オペラを知らない人もクラシックにあまり縁のない人もたいていの人がどこかで聴いていると思う。グノーは優れた作曲家、基本的にはオペラ作家だが知名度のわりに広く知られている旋律は少ない。まさに喜
第1曲「ロマンス」、長い間連れ添って来た夫婦が老年になっていがみ合いも苦労も乗り越えて結局自分たちは今でも相手を思いやる気持ちがあり、愛し合っていると確認するような熟成したロマンスを感じる。情熱や衝動とは違う、最上の選択だったと確信する美し
第1曲「前奏曲」、北国の岸壁に打ち寄せる荒波を感じさせる力強いリズムの動機が爽やかだ。船を漕ぎ出して漁をしている海の荒くれ男たちの姿が見える。汗まみれの顔に一陣の風が天使の羽のようにかすめ通る。第2曲「サラバンド」、スペインが起源とされる舞曲
田舎風の楽しげな踊りが見えてくる。自然に囲まれた野外での催し物にうきうきと弾んでいる気持ちが良く表れている。中間部は表情を暗くしてもの思いにふける乙女心の細やかさを感じる。この部分は驚くほど「ソルヴェーグの歌」と似ている。作曲年代はほぼ同じ
「主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。」(ミカ 6:8)日本では何か困った事態が起こった時に、神なんて迷信だ
日本のお祭りにも似たピッコロの旋律に打楽器がお囃子のように絡み楽しい雰囲気を生み出している。フルートが参入しさらにクラリネットが加わる。クラリネットはひとしきりソロでも鳴らされる。小学生が学校の帰り道に歩きながら笛の練習をしているような場面
第1曲「入祭唱」、身震いするようなとてつもなく低いざわめきで開始される。チューバ、コントラバス、バスクラリネットなどの低音楽器が背後でロングトーンを鳴らすが合唱と渾然一体化している。徐々に音の輪郭がはっきりして来る。後半に入るとソロ歌手も参
第1楽章、山の頂からあたりを見下ろすような爽やかな出だし。空気は澄み寒いくらいの気温だが心は燃え大きな夢を果たしたような満足感に高鳴る。どんなに落ち込んでいてもさっと霧が吹き払われるような覇気を感じる。これは柔軟な若者の心模様なのだろう。現
第1楽章、かなり攻撃的で強烈な開始はショスタコーヴィッチ風の嵐が渦巻いているようだ。金管楽器が荒々しく咆哮する中シロフォンが健闘しているのが目立つ。ある意味でかっこいいスカッとするフーガだが民を社会思想に染め革命的な国家繁栄を目指す歌と考え
第1楽章、チューバによる歌とうめきと咆哮。音が振動を伴って伝わって来る迫力はすごい。美しいとか音楽的という次元ではない、滅多に聴けないチューバの音色と底力を味わう曲となっている。基本的に冒頭は静かなうめき、中間部では長く引きずるうめきと変わ
第1楽章、東洋的などこか侘しさを感じさせる響きが面白い。竹林の中で繰り広げられる怪しい幻想を見るような気がする。フルートとコントラバスのユニゾンの背筋を撫でるような音色に古の土霊の蠢きを感じた。自由に歌う中間部を挟んで変化に富む曲想に飽きが
歌われている娘とは娼婦のこと、まだあどけなさを残した年齢、まともに金を稼ぐすべを知らない貧しい子。時代背景は分からないが戦争孤児が溢れている時代には普通の光景だったのだろう。それを承知で共に過ごした少女を忘れられない詩人が再会を期待して通り
「『ああ、ナザレ人のイエス。いったい私たちに何をしようというのです。あなたは私たちを滅ぼしに来たのでしょう。私はあなたがどなたか知っています。神の聖者です。』イエスは彼をしかって、『黙れ。その人から出て行け。』と言われた。するとその悪霊は人
「かくてこの世に悪魔があふれれば」と通常訳されているようだが、これでは魑魅魍魎の怪奇な世界を連想しそうでふさわしいとは思えない。実はマルチン・ルターの作詞作曲による賛美歌の第3節がタイトルとして用いられている。この旋律はバッハのカンタータ80