無伴奏のフルートの旋律に導かれて音楽が始まる。すぐに低音木管楽器が纏いつく亡霊のように絡んで来る。霧のように希薄で怖さはないが、正体がつかめない不気味さを感じる。音色は東洋的で古い因襲に縛られた寒村での情景と言う感じがする。冒頭の呪文の旋律
パリに地下鉄が登場したのは1900年、この曲が発表されたのは1931年となっている。創業から30年、路線も本数も少ない時代にどのくらいの利用者がいたのか見当もつかないが、この曲の印象ではすでにラッシュが発生していたようだ。導入部は何事が起こったのかと
本日の通常の日記はPCの具合がさらに悪化してドキュメントファイルが開けないので、お休みします。今のところ直に書き込む事ぐらいはなんとかできそうですが… 2−3日身動き(もちろんネット上で)できない可能性もありますが、ビックカメラで新機種を見て、
覇気の強い出だしで始まる田舎風の踊りが楽しく繰り広げられる。少し垢抜けない感じもするが、元気に働いて、夕食の前のひと時、嬌声をあげながら踊って過ごす、家族を超えた地域ぐるみの連帯の深さを感じさせる。単純だが生活に密着した幸福のあり方に満足し
「神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現われとその御国を思って、私はおごそかに命じます。みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、
冒頭で4つの和音が厳粛に響き渡る。一音一音しっかりと印象付けて、時を告げる鐘の音が響く。暗いのは夕闇に反響するからかもしれない。その後、三連符の漣に乗って穏やかな旋律が舞う。近くに川があるのだろう。再び鐘が4回鳴り、三連符の流れが続く。このパ
「行進の歌」、スネアドラムの最弱音で始まり、クレッッシェンドで近付いて来る様子を表わしている。疲れきった兵士の隊列ではなく、楽しげな和気藹々とした雰囲気が広がる。戦いに狩り出された農民が一路故郷を目指しているようだ。それで疲れも吹っ飛んでし
チェロの独奏曲だが和音がグリッサンドで上昇と下降を繰り返しているだけの変な曲だ。音から想像したのは戦闘機の編隊が低空を掠める姿だ。戦時中は敵機の来襲かと人々をすくみ上がらせるに十分な響きだったに違いない。こうして効果音的音楽として聴けば、ほ
エッジウッドは世界的に知られたイギリスの陶磁器メーカーのブランド名だが、元々は18世紀半ばの陶工の個人名で、彼が実用的な陶器を芸術作品に変えたと言われている。良く知られているように、陶器は色付けをした後に焼かれるので、熱によって色合いは全く変
第1部、深海がざわめいている雰囲気の低弦の序奏で音楽は始まる。フルートが穏やかに夜明けの空に流れ、クラリネットが絡んで来る。ハープが入って来るあたりから平和な情景は一変して暗雲に包まれる。天候が崩れ波に翻弄される船が浮き沈みする。さらに体長1
優しくロマンチックな愛の歌。幸せ一杯の気分で心は雲の上に舞い上がり喜びに浸っている。しかし情熱の甘さに雲は溶け出し、うっとり寛いでいる時ではない。盲目的な恋は美しいが、足元は見ていた方が良い。世の中は奸計に満ちている。いつ足を踏み外して奈落
ムスタキの歌は多岐に渡るが、反戦歌を歌う歌手として広く知られている。この曲は広島の原爆の犠牲者への鎮魂歌であると同時に壊滅的な戦禍に巻き込まれた世界中の一般市民への鎮魂歌でもあり、今後発生するかもしれない武力闘争の全てに対する反戦歌でもある
ただいまPCが不調で正常な動きをしてくれません。なだめなだめ使っている状態です。もう限度、機種変更の時期なのでしょう。これ以降、いつネットへの接続が切れても不思議ではない状況ですので、突然連絡が途絶えるかもしれません。しばらく書き込みも、返信
「御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。」(黙 1-2
オペラ「ハムレット」はかなりマイナーな作品で全曲の上演を観劇した人は少ないと思うが、近年このオフィリアの詩の直前のアリアをリサイタルで採り上げるケースが増えているようだ。旋律的に際立っているとも思わないが、音楽は優れているし、悲劇の最も重要
この音楽は祈りの音楽だ。イエスはいつも決まった時間に決まった場所でひとりで祈られていたようだ。十字架に架かる前の最後のゲッセマネでの祈りの場面を想定してこの曲が書かれたように思う。この祈りでイエスは血が滲み出るほどの汗と涙を流しながら人類の
ライトが消されたステージから腹が空きすぎて行き倒れになった犬のような切ない呻きがかすかに聞こえて来る。このざわめく音が誘い水になって、あちこちから好き勝手な音を出しながら音楽家が舞台の中央に集まって来る。騒然とした音の波は膨らんでくる。雑然
第1楽章、音楽的には穏やかだが、切れそうなほど強い緊張感に満ちている。地域的な戦闘が世界大戦へと拡大し、一般人も兵卒として狩り出され、有無を言わさずに戦いに巻き込んでいく社会に暗雲は勢力を強めて圧し掛かって来る。希望を見つけられず右往左往す
第1楽章、追悼曲にはどうかと思うほどの開放感を感じる。ありし日のクーセヴィツキ夫人との楽しい語らいを回想しているのだろう。音楽に夫人の人柄の良さが窺える。決してでしゃばらず、口数少なく、それでいて自然と人を引き寄せる魅力がそぶりに表れるよう
冒頭から暖かい日差しを感じないだろうか。母親が眠っている赤ちゃんに注ぐ優しい眼差しのように。高音が煌めいているが、決して眩しすぎないように細心の注意が払われている。華麗さを強調するよりは上品な子守唄のような仕上がりだ。赤ちゃんの笑顔が見える
ポール・アンカはこの曲でデビューしたのは1957年だったそうだ。いきなり空前の大ヒットとなり、その名は歌と共に、瞬く間に世界中に知れ渡ったようだ。その後もヒット曲を発表し続けたようだが、この曲のインパクトが強すぎて霞んでしまったような気もする。
「だから、祭壇の上に供え物をささげようとしているとき、もし兄弟に恨まれていることをそこで思い出したなら、供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、出て行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから、来て、その供え物をささげなさい。」
音の響きも漢字もどことなくカッコいい飛翔。いろいろな解釈があるが羊は神を表わしているという中国古来の発想は遠い昔からキリスト教思想が中国にまで届いていた裏づけの一端にもなりえると思う。キリスト教では羊はキリストの象徴であり、キリストは三位一
43年後には2010年になっていて、と歌いだすのだから、そのくらい前の歌なのだろう。本国イギリスでは全く売れずに、日本だけでヒットしたと言われている。日本人の感性に合ったのだろうか。原曲はバッハの名旋律なので悪かろうはずはないが、かなり陳腐になり
スペインと言えばフラメンコの国。短絡的に少し気の強い女性を連想するが、これを聴くとマハは繊細な感性を持つ人だと感じる。夜更けに橋の袂に佇み、愛しい人と離れている辛さをしみじみと歌う。側にいるのが当たり前ように過ごして来た日々には感じなかった
タイトルから悪女を連想したが、そうでもないようだ。ヴェールをつけた女は「俺」の友人の妻と言う事になるようだ。その「俺」は殺人犯として処刑され今は墓の下に眠っている。つまり、歌っているのは幽霊と言う事になる。幽霊はいまさら嘘をつくわけもない。
[サティの詩 11]♪大佐は色合いの深い緑のスコッチ‐ツイードを着ている自信満々で勝利を手にしそうだキャディーがバッグを持って後を追う雲がびっくりしているホールは恐れをなして震えている大佐が位置につく見事なショットを見せてくれそうだ大差のクラブ
デュテイユの歌の雰囲気も声も個人的には好きだが、歌詞の奥が深いのか、文体も使われていることばも平易に書かれているがそれでいて、こんなに理解しづらい文章もない。言葉の万華鏡のような感じで、きれいなのだけれど、全体の主題がどこにあるのか掴めない
マルスリーヌ・デボルド・ヴァルモールは1859年7月23日にパリに没した19世紀の女流詩人。愛に生きた人と言えるのかもしれないが、常に愛が本物かどうか疑いを持ち、幾度か結婚し、子供までもうけているが結局本気で愛されていると実感を持てずに、不安に揺れ
「造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです。」(ヘブル4:13)今は牧師をしている友人が昔、献身の前に自分の犯した全ての罪を神の前に告白する