第1楽章、曲の冒頭にアダージョを持ってきたのはこの時代の様式としては珍しいだろう。哲学者の瞑想している姿を連想できないでもないが、天国の穏やかな情景としても不思議ではない感じを受ける。ハイドンの交響曲にタイトルを付けたのが本人なのか出版社な
タイトルの通りにピアノも声もひそやかなヴェールをまとっているようだ。心情的にはもっと抑えて歌いたいところではないだろうか。詩と曲が見事にマッチして精妙でありながら濃厚な味わいを出している稀有の作品といえるだろう。ヴェルレーヌの詩に付けられた
有名な世俗カンタータ「カルミナ・ブラーナ」の続編「カトゥリ・カルミナ」、前作の規模と比べると時間的に半分、編成的にもふたりの絡み合いの部分では4台のピアノと打楽器群と4本のサックスの伴奏が付き、それ以外のところは無伴奏で歌われる。滅多に聴く機会
あるいは予期せぬ落雷のようにも聞こえなくはない打楽器の崩れ落ちるような打撃音に続いて管楽器による悲しみの旋律が薄っすらと漂い始める。沈みきった気分を突如払拭するような感情の爆発が乱入する。重い過去を引きずるような旋律は弦楽セクションに移って
冒頭からかなり哀しみの色合いが濃い。しかも気持ちをあいまいにせずにフォルテで迫る。あまり中間色を用いずにストレートに心の動きを描く音楽家の資質が顕著に現れている。気持ちの揺れも素直すぎて、惜しげもなく素材を並べてしまうので音楽も簡潔極まりあ
「なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。」(第2コリント 5:10)ハッピー・イースター!教会での正式行事ではなくてもヴァレンタインデイ、母の
第1楽章、ベートーヴェンに権力志向は殆どなかったようだ。実入りの良い仕事と割り切って貴族に仕えたが尻尾を振って貴族を楽しませるおべんちゃら音楽は書いていない。そんな性格のゆえに平民である誇りを捨てずにフランス革命に多大な興味を示し、ナポレオ
第1楽章、バルトーク自身が葬送の音楽と呼んだが悲劇を強調するでもなくひたすら淡い色彩の中で美化しようと努めているようだ。具体的な人物の死が背景にあるわけではない。青春の恋の終わりとふたりの間で交わされた自殺議論がモチーフに強く作用しているの
右手のアルペジオに乗って左手が愛の表現を甘口でいろいろ試している。語り口のうまさは見事、あの手この手と見事に会話に引き込み口説き落とそうとしている様子が明るく弾むピアノで屈託なく表現されている。軽やかさと洒落、気品と優雅を同時に求められるピ
第1楽章、羽があるかのように軽く浮遊する旋律をコントラバスが歌うこともあるとは予想外だった。この明るく弾むような喜びの源泉はどこにあるのだろう。短調を用いて努めて朗らかに脈動する旋律は痛む心に刺激を与えずにそっと暖めてくれるに違いない。第2楽
冒頭で弦楽器による雄鶏の口論が描かれている。クラリネットで表されているのが雌鶏のテーマだが雄鶏の喧騒にたじたじとして口を挟めないでいる。雄鶏はかしましいのではなく見せかけの強さを誇示しているだけなのかもしれない。これを長く続けても無意味だが
日が暮れ行くリゾート地の海を見つめながら過ぎ去った日々を回想する。近くにはいくつもの小船が係留索で繋がれ静かな波に乗って揺れ動いている。貧しく若さだけが売り物だった懐かしい時代。恋に胸をときめかせる経験をし、結婚し子供が与えられ、現実の辛さ
タイトルを見て気付く人は気付くボブ・ディランの歌。タンブリンマンとはここでは特定の人のニックネームだろう。訳ではタンブリンちゃんタンブリンくんも変な感じなので呼び捨てることにした。7曲からなる組曲のすべてはボブ・ディランの詩を基にコリリアーノ
「イエスは涙を流された。」(ヨハネ 11:35)死者を生き返らせたイエスの話しは他にもあるが、ここではラザロのことが語られている。生前に親しい交わりがあった。だからその死を知り悲しみのあまりに涙がこぼれた。100%神であるイエスが100%人間であった証拠
第1楽章「幻想曲」、落雷のような爆音の中で弦楽とオルガンの不穏な表情の音楽が開始する。トランペットの音に乗って夜明けが訪れ音楽は高揚する。地上の不信仰と無秩序に対して神の怒りが地に下ったのかのような響きを立てて終結する。第2楽章「コラールとイ
第1楽章、春風が舞うような序奏。古い因襲の残る片田舎の情景。過去と現在が分け隔てなく並列してメリーゴーランドのように回転する世界。フルートによる鳥の声に誘われて開いた絵本の中から浮き上がった淡いメルヘンが具現化して一時の命の精彩を放っている
第1楽章、冒頭に現れる3つの和音から成る単純な主題の緊張感に圧倒される。あまりにも神々しく厳粛に響き、自分と言う存在の小ささを嫌でも認めざるを得ない。第2主題は対照的に優しく、祈りの歌になっている。マリアが幼子の成長を見守りながらどこまでも素
ジャク・ブレルが歌った「行かないで」と言う自分の元を去った女に寄せる有名なシャンソンがある。その手の歌かと思ったが、内容的には素直に理解できない不条理な匂いがする。人に惑わされずに自分の道を進めということだろうか。ブレルの「行かないで」の日
ブーランジェの残した声楽曲の中でも比較的人気のある作品。ソリと合唱が交互に入るが、詩の節ごとに振り分けずに、最後の節を繰り返してパートを変えたりする試みによって意外性に富んだ色彩感を生み出すことに成功している。単なる有節合唱曲以上の詩情が広
とても幻想的な歌に包まれて睡眠カプセルにでも入っているような気分。地球から金星だと人工冬眠までは必要ないだろう。遠い異世界からの来訪者なのか。民謡風の旋律は暗黒の世界に瞬くような星々を眺めるのに情景に良く似合う。旅は順調のようで推進音だけが
どんなに落ち込んでいる時でも、それでも人生は素晴らしいと思っていれば良いことが目に付く。どんな小さな事にも素晴らしいと感じられる発見がある。生きていれば痛みは経験するが何としてもそこから抜け出さないと生活の中に痛みが焼き付いてしまう。マイナ
「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」(箴言3:6)ここに楽に生きる秘訣が書いてある。「主を認めよ」とは神を主権者であり自分は神に隷属していると知ることだ。つまり奴隷で、買い取られた者は主
ユダヤの旋律と分かる感傷的な歌。映画「サンスーシの女」のテーマ曲として書かれた。歌のタイトルから推測するに、ナチスによるユダヤ人撲滅計画の非道さを描いているのだろう。戦時下の悲劇はユダヤ人だけに限らないが、親を失い路頭に迷う子供たちの姿はそ
第1楽章、序奏を置くことなくいきなりタンゴの強烈なリズムに晒されて体の芯が律動しているのを感じる。ピアソラのタンゴは踊るために配慮されてなく、あくまで器楽曲としてノスタルジーに浸れるように書かれている。故に正当なタンゴではないという意見が多
冒頭から軍事パレードの式典に駆りだされた民衆の不安と期待が交差する不気味さを感じる。ブラスの咆哮は威圧的でこれを鼓舞と感じるなら洗脳されているのかもしれない。恐怖から逃れるには無関心の中で踊らされることを容認するのが近道だ。弦楽の優しい軍事
第1楽章、冒頭から付点つきのリズムが目立つ主題が無法図に暴れまわっている印象が強い。粗野と言うのとはちょっと違う、垢抜けないやり場のない反発が抑えきれずにじわじわと噴出している。16分音符の速くて強い流れに衝動的な怒りが現れる。同音連打に至っ
重苦しい感じの弦楽合奏で幕を開ける。まさに傷心のリア王が嵐の中荒れ果てた地をさまよう姿を映すようだ。ずぶ濡れで髪を振り乱した姿は恐ろしいと同時に哀れでもある。音楽は次第に過去の思い出に浸るような甘さ帯びる。オーボエの旋律にはどれほど末娘を愛
冒頭の和音を爪弾くように叩く導入部がとても印象的だ。調性的音楽ではあるが全音階の音の積み重ねが次にどう出てくるか予測がつかないまま平行移動するのでかなり落ち着きが悪く感じる。極めて荒っぽく演奏するように指示されているところにも旋律をよりは意
第1楽章、つぶやくような音量を抑えた低弦で演奏される主題はティンパニーの連打やブラスの咆哮を伴う激しい叫びにまでクレッシェンドする。数々の苦渋をなめて来た大地の土俗的なうめき声なのかもしれない。一旦鳴り静まったところでヴァイオリン群を主体に
「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。」(Iコリ 6:20)私の救いのためにキリストが命を捨てて贖いの業を終えられた、そう信じているのがクリスチャンと呼ばれる人だ。2000年前のあやふ