原曲はバッハの教会カンタータ第147番「心と口と行ないと命」の第6曲目からの引用。聖母マリア訪問の祝日のために書かれた音楽だが、1723年イギリスの女流ピアニスの編曲によってピアノ独奏曲として生まれ変わり、その時のタイトルが「Jesus, joy of man's de
フォーレに同じタイトルの曲があり、作詞者もヴェルレーヌになっている。同じ詩だと勘違いし易いが、実は同じヴェルレーヌの詩ではあるが、フォーレが勝手にタイトルを替えてしまった。ドビュッシーは殆ど詩をいじらない。フォーレの歌曲は音楽の構想に合わせ
最初に時計がト音で二時を告げていると思ったが、タイトル通りに鐘なのだろう。でも音色はやっぱり時計だ。左手だけでおじいさんの大きな古時計を彷彿とさせられた。3小節目から鐘の音が響く町の景観がそれとなく滲み出す。一小節に一回鐘が打ち鳴らされる。
雪の積もった道を歩くのは楽しいけど、すべって転んだら悲惨だ。おずおずと進みつつ、誰に見られても恥ずかしくないように勇ましく少し肩を張り出すように。難しい注文だが、少年期の男はみんな怖さが表に出ないように虚勢を張って生きているようなもんだ。と
第1楽章「ローマ」、物々しい序奏に続いて柔和なホルンの重奏によって霧が薄れ、建国当時の経緯がスクリーンに蘇るように映し出される。ローマは双子の兄弟によって建国された。処女であるはずの巫女が生んだ双子は籠に入れられて川に流され、川岸にたどり着
[サティの詩2]♪兎が歌っているのが聞こえるかい?なんて声なんだ鶯は自分の巣に籠っている梟は子供におっぱいを飲ませている猪の子は結婚も間近いようだ僕は鉄砲で胡桃を狙い落とす♪[私的コメント 3]遊び半分に犬が獲物を追っかけているのだろう。楽しそう
「主の憎まれるものが六つある、否、その心に、忌みきらわれるものが七つある。すなわち、高ぶる目、偽りを言う舌、罪なき人の血を流す手、悪しき計りごとをめぐらす心、すみやかに悪に走る足、偽りをのべる証人、また兄弟のうちに争いをおこす人がこれである
触ったら消えてしまう儚い雪が降る様子が冒頭から描かれている。単純な音階なのだけど見事に外の薄暗い光景を描き出している。窓から見とれている子供たちの期待感と、こんな日に外に出たら叱られると分かっているもどかしさの間で中途半端に揺れている。明る
まずは手合わせという感じの出だしのようだ。執拗に繰り返されるファンダンゴのリズムに誘われて体がスムーズに揺れ動きだす。ヨーロッパの人はさすがにその動きがスムーズで、音楽に合わせるぎこちなさを感じさせない人が多い。中間部では楽しさで体がほてり
[サティの詩 1]♪こんな風に揺れているのは僕の心だそれでも眩暈なんか起こしはしないなんて小さな足をしているのだろう僕の心は僕の胸の中に戻りたいのかな♪[私的コメント 2]楽譜を見ると左手のパートは最初から最後まで同じ音型が繰り返されている。ヘ音記
現代でもっとも成功したミュージカルのひとつとも言るソンドハイムの「日曜日にジョージと公園で」の第2幕の終わりの方で歌われるのがこの歌。聞いているだけで力が与えられるような気がする。パリ生まれの画家ジョルジュ・スーラの《グランジャット島の日曜の
第1曲「大衆的祭典」、少し物々しい雰囲気で始まる。大衆的な賑わいを感じる一方で公式行事が厳かに執り行われているようなスケールと格調の高さを感じる。ロシアと言う現実を離れれば、象の隊列に金銀財宝の献上物を携えて登城するシバの女王の威厳と華麗を
第1楽章、落ち着かない雰囲気で始まる。付点の付いたリズムが妙に不安を掻き立てる。現代風に言えばイスラム原理主義的な国に迷い込んでしまった子供の一団があたりを見回して見慣れない光景に驚くと共に恐怖感が募り、逃げ出したいが気持と冒険心が葛藤して
ボブ・ディランの詩を用いて現代音楽仕立てのメロディーを付けた曲集の第5曲目。もちろん音楽はディランの音楽を参照した気配も感じられない別物。詩はディランがイザヤ書第21章のバビロンの崩壊を告げ知らせる使者の到着からヒントを得たようだ。世界の王とし
「わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」(マタイ 16:19)これはイエスがペテロに授けたとんでもない権威だ。プロ
第1楽章、一斉に飛び立つ鳩の群れを見るような寂寥感と爽やかさが合わさった一陣の風が暗い色調を吹き払うように通り過ぎる。しかし押し寄せる不安の方が優勢で、身体にずっしりと覆いかぶさって来る。逃げ場のないやり切れなさが心を重くさせる。第2楽章、フ
ヴァイオリンで提示される主題に傷ついた鳩が痛みのあまりに涙を浮かべている姿を見た。もう旅することは叶わないのだろうか。せめて最後に平和の旋律をさえずりたい。天上から降り注ぐ荘厳な響きに助け起こされたヴァイオリンが力の限り歌う。弱っていく歌は
第1楽章、不良少年の荒んだ心を表わしているような気がした。管楽器が牙をむき出している。そこにヴァイオリンの主題に続いてフルートが優しくなだめるように入って来る。このままでは自分の人生を駄目にすると気付いて、抜け出す方策を思案しているがまだ踏
蜂がブンブン唸っている。威嚇なのか戯れなのか分からないが音楽の導入としてはまずまず。蜂の群れに追いかけられるのは勘弁願って、と、音楽はポルカに変わって、みんな輪になって踊りだす。夏の燦々と照り輝く牧草地で余暇を楽しむ情景が広がる。浮かれて蜂
ホルンが広大なライン川の朝の情景へと導く。新鮮な空気を胸いっぱいに吸う爽やかな気分を味わえる導入に続いて5つの小ワルツが続く。滔々と流れる水のきらめき、沿岸に広がる森の美しさや、そこ住む小動物たちの動き。打楽器が岩場に生じる渦を見せているが
ハープの胴を叩く打撃音で始まる。旋律と言うよりは星々の不思議な運行を見ているような気がした。非常に複雑な曲線を描いて、どこもぶつからずに同じ軌道を保っている。人は何も感じないが、実は地球上のあらゆる乗り物よりも速いスピードで動いている。何も
この面白い歌を聞くとヨーロッパでもツィータ障害が深刻な社会問題にまで拡大化したのかと思わせられる。最初は退屈しのぎの軽い気持で始めたつもりが、フォロワーの数がいつの間にか自分の賛同者だとの誤った認識にはまり込んで、その人数の拡大に価値がある
「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです」(ローマ 3:23-24)自分が罪人であること告白しないと救われないと説くキリスト教は嫌いだと
言うまでもなく、原曲はカーペンターズのヒット曲。クロード・フランソワは他にもいくつものヒット曲のフランス語版を歌っている。それはそれでまた面白いものだ。もちろん1970年代のヒットメーカーだけに自分の持ち歌も数限りなくあるが。この歌詞を書いたの
パリはとても美しい街だ。反面、道路には犬の糞がそこらじゅうに転がっているし、スリも多い。娼婦も男娼も多いし、健全な街とはいえない。毎朝霧が立ち込めて10メートル先も見えないほど。セーヌ川は昔と比べてきれいになったと言われていて、釣りを楽しむ人
第1曲「雪が降る夜の子守唄」、音を立てずに雪が降り続く夜の情景。真っ暗な夜に銀色に光る雪がこの世の猥雑な音を消し去り、束の間の幻影を見せてくれる。木管の暖かい子守唄だけが夜に響き、ヴィヴラフォンのような金属的な音が魔法の杖をかざしたように平
とてもオーソドックスな祈りの音楽の雰囲気で始まる。カトリックで言えばミサの前の前奏のような感じで参列者が着席し静かに祈りながらミサの開始を待つ時だ。トランペットの旋律がグレゴリオ聖歌のものかどうか分からないが、厳かで世俗と隔絶した聖域へ近付
ピチカートの伴奏に乗ってフルートが眠っている王女の姿を描く。とても清らかな旋律は王女の安らかな寝顔を覆うヴェールのように揺れ動く。娘の誕生を祝って王と王妃が祝宴を開き、国中の魔法使いが招かれた。ひとりだけ招きを受けなかった魔法使いが報復とし
大抵の説明書きにはぶるぶるっと震えて大きなくしゃみから始まると書いてある。冒頭のトリルで奏する付点二分音符がそれなのだろうか。聴いても震えているかどうか微妙すぎて分からないのが惜しい。くしゃみは36分音符で一気に2オクターブ駆け上がって爆発す