第1楽章、悲劇的と言うのとは違うが、傷ついて倒れた巨人が体力も回復して起き上がるイメージの序奏が重々しくスタートする。クラリネットやフルートが弦に絡まってエネルギーが充満して来る様子が窺える。エネルギーが迸るほどになるとじっとしていられなく
池の鯉が楽しそうに泳いでいる。風はおっとりとしていて、陽光は水面をふわっと打つ雪のように降り注ぐ。空はあまりにも明るくて涙がこぼれそうだ。転調するたびに鯉は尾びれをひるがえし進む方向を変える。水に映った空をゆっくり泳ぐ鯉はまるで飛行船のよう
5曲からなる告別の歌の第1番。故人を偲ぶ歌ではなく、ディーリアス自身の晩年の心境を表わしたような歌だ。晩年、失明し、肢体が満足に動かなくなったけれど、それでも弟子のフェンビーの手を借りて仕上げた作品。ディーリアスは海が好きだったようだ。そんな
「しかし、彼らにつまずきを与えないために、湖に行って釣りをして、最初に釣れた魚を取りなさい。その口をあけるとスタテル一枚が見つかるから、それを取って、わたしとあなたとの分として納めなさい。」(マタイ 17:27)ずいぶん昔のことだが、牧師の生活は
内容的にはキリストの死を悲しむ聖母、スタバトマーテルと同じだ。ラテン語ではなく作曲者自身の英語のテキストで歌われている無伴奏の合唱曲。聖母も味わった肉体的な痛みが直に伝わって来るような感じがする。いつの時代の音楽かと思うが、まさしく現代音楽
第1楽章、第1主題は主和音で構成されているがこの単純さの中に8歳のモーツァルトがやっと交響曲が書けると喜び勇んでいる様子が窺える。フォルテのユニゾンなのでかなり目立つ上に次々と短い動機を転がりながら抜けて行くのでその後に登場するいたずら好きの
恋の病を水の流れに例え、子供から老人まで、どんな場所でも患うという内容だが、多くの意味を持つ言葉を二重の意味に掛けているので日本語にしにくい。7歳から77歳までは語調で言っているだけで、どんな年代の人にも恋の病が発病することはあると言いたいの
パンチネロは教会劇で良く取り上げられる主人公の名前だ。もともとはマックス・ルケードという牧師が書いた絵本なのだが、福音的な事を分かり易く説明しているので子供たちにも人気がある。パンチネロはどちらかと言うと不細工で間抜けなキャラクターの男の子
第1楽章、クラリネットとホルンによって主題が提示される。管楽器やティンパニーの活躍するかなり壮大な雰囲気はアメリカ建国の礎となった街の誇りや歴史の重みを感じさせると同時に音楽的にはヨーロッパの伝統を踏まえた古典的な味わいも強い。第2楽章、木管
第1楽章、現代音楽らしさを幾分感じる。バルトークの弦楽四重奏曲を初めて聴いた時のような衝撃と期待感が広がって行く。平和を象徴する大きな鳥が空を飛んでいる。すると空には柔らかな光が現れ、塞いだ心に春が訪れたような微風を受けて気持が和らいでいく
第1曲「子守唄の中の前奏曲」、なるほど、前奏曲は字義としては本番の前の曲と言う意味だから寝付くまでの時間に子供の相手をしている情景なのだろう。しばらくすれば子供も眠くなってきて、子守唄も実力を発揮する。こんなに穏やかな波だったら寝つきの悪い
「神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。」(Iヨハネ 4:20)ここにキリスト教の本質が語られている。兄弟と言う表現は隣人と置き換えて考えるといい
レガートで下降する音型に人生に疲れ果てどうやっても前に進めない悲痛を感じる。罪の呵責と言うと大げさかもしれないが、裏付けのない自信で行けるところ前まで行ってしまうよりは何か間違っていないかと絶えず点検し反省を求める生き方は素晴らしい。しかし
秋も深まったかなり内症的な寂しさを湛えた音楽だ。薄暗い空が親しい人を亡くしたかのように涙をこらえている。一筋の涙が風にもまれて霧のように広がり、すっかり乾いた落ち葉に潤いを与える。そんなしっとりした天候の中、外を出歩くのもまた新鮮だ。湿った
[サティの序文]この本はデッサンと音楽というふたつの芸術的要素を盛り込んで構成されています。デッサンの部分は線描写で表現され、これは機知の籠められた表現とも言えます。音楽の部分は点で表されています。黒い玉、すなわち音符とも言えます。このふたつ
あまりにも有名なショーソンの傑作。悲しみの中に真摯な心が輝いている音楽に心が打たれる。失恋の傷は深い。それでも、終わってしまった恋はいつまでも甘美な香りを放ち、その匂いはいつしか精錬された思い出の結晶に変わる。《Ernest Chausson:Le temps de
3曲からなる「ある一日の詩」の第1曲目、フォーレの最初期の作品。淡々とした旋律の中に突き上げる情熱が秘められている素晴らしい歌だ。流麗な流れの中に感じる明暗の揺れは出会ったばかりで現実とは思えない恋がもたらす若さゆえの不安感と期待の表れだろ
1988年12月21日、ロンドンからニューヨークへ向かうはずだったPA103便はスコットランドの上空で突然爆破し、乗員乗客とも生存者なし、270人の犠牲者が出た。機体の破片はロッカビーに落下しそれに巻き込まれて亡くなった人もいる。機内に仕掛けられた爆弾が原
こんなにも優雅に歌っていても、内容はあまりにも世俗的でギャップを感じる。この時代には誰もそんな事は考えなかったのかもしれないが、内容的には現在でもその通りと頷く人も多いと思う。頭では分かっていても、制御できないのが愛。そして、やがて破局を迎
「その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」(詩篇1:3)その人とは神の教えを喜んで従う人を指す。聖書に親しむ時間をたっぷり持ち、読んだ箇所は一体何を教えているのか瞑想し、神
波がぶつかって妙に歪な音を響かせている。そんな海に誘われて大人用の大きな下駄を引っ掛けてカランコロンと音を立てながら石段を下りていく少年サティ。法被を来た後姿もなかなか様になっている。砂に梨の形の足跡を残しながら海へ向かう。サティの生地オン
原曲のスメタナの曲も素晴らしい作品だが、ここまで印象が変わるとは想像が付かなかったモルダウのポピュラー化。実はフリオ・イグレシャスがフランス語で歌ったのが最初でこのリシャール・アントニの方はいわばリメイク版。歌詞も変えている。「キスしてくれ
第1曲、ひとりとぼとぼと海辺を歩く旅人。傷ついた心をかかえて潮風に吹かれても海を見ても気持ちが晴れない。人からも自然からもつまはじきにされているような気持ち。自分が間違ったのか、身に覚えのない悪運に振り回されているだけなのか。夕べになると海
ブイリーナは口承による英雄叙事詩の総称で特定の時代背景や人物がいるわけでもなく、100人以上の英雄伝が広い地域で語り継がれていた。記録に留めようと調査されるようになった時点で多くの話しが逸散し採集不可能になっていたようだ。ロシアの歴史を検証す
能天気な序奏に続いて陽気な曲が飛び跳ねる。主題はまるで運動会のような賑やかさ。吹奏楽のための作品で歌は付いていないが、金管熱血漢の爆唱に冬眠中の熊も穴から飛び出し踊りだし、雪は一瞬のうちに煮え湯の川になりそうだ。チュブラーベルが登場するあた
底辺まで落ちた女の悲しい歌だがヴァージョンはいろいろあり、男の嘆きを歌ったものもある。あの時親の言うとおりにしていたら、誰もが大なり小なりそう思うことがあるだろう。自分で何とかできると信じて誰も頼らなくても大丈夫と強がって気付いたときには引
「あいつ」なら誰か適当な人を想像すれば良いが、aitsiが何を意味するのか何語なのかも一切不明だ。ひとつの和音の変容と言うかF音の百面相と言う趣の曲だ。6分間の間ポツポツと鳴らされるだけで縦方向に変化はあるが旋律的な展開はない。音楽が誕生する前の
「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る天地を造られた主のもとから。」(詩篇121:1-2)かつてユダヤの民は年に数回、重要な日にエルサレムの神殿に上らなければならなかった。昔の話だから、遠い所からは何
第1曲「ブルゴーニュのブランル」、お弁当を持ってピクニックに行くような雰囲気が伝わって来る音楽。のどかで平和な田舎の情景が浮かぶ。ピアノを中心に管楽器がぐるっと輪になって和気あいあいとおしゃべりが弾んでいるようだ。小太鼓とトランペットがとて
第1楽章、陰鬱な雰囲気で始まるのが気になる。胸をかきむしるような激しい痛みさえ感じるが、すぐに水面の穏やかな揺れを表わす細かい動機が波打つ。木漏れ日が反射する煌きは花火のように鮮やかだ。浮いている小枝の上に足を組んで寝そべっている蛙が午睡を