胸にジーンと来るような素朴な歌でパレスチナの現状を訴えている。紛争の絶えない地域は世界中にあるが、国土だ宗教だといがみ合っているのは案外国の中枢を掌る人たちだけで社会の底辺にいる人たちは自分たちの生活で手一杯で貧しくても平和に暮らせることだ
第1楽章、暗雲漂うような気配を感じる出だしは重く力強い。立ちはだかる脅威に翻弄されながらも決然と立ち向かって行く団結力の凄みを感じる。第2楽章、これも重い展開のアダージョ楽章。溢れる涙に差し出された白いハンケチのような清純さに慰めを感じるよう
デュトロンは22歳の頃に依頼されて書き上げた曲の歌い手が見つからず自分で歌うことを決心し、それがヒットしてとんとん拍子で売れている歌手の仲間入りをしてしまい以降コンスタントにヒット曲を書き歌っていた。この歌は1970年代のテレビドラマのテーマ曲と
第1楽章「父なる神に共に栄光に与ることを願うキリストの威厳」、トランペットが神の栄光の輝きを示している。かなり長く伸ばされたフレーズが延々と続くので退屈と感じる人もいるかもしれないがおそらく天国的な平穏と神の目に映る滔々とした永遠の時の流れ
第1楽章、金管楽器の咆哮とティンパニーの強打で音楽は冒頭から荒れている。激しい波風に翻弄されているような雰囲気が続くが舞曲風の落ち着いた旋律が顔を出す。束の間も静寂も再び風雨に飲み込まれるように展開する。それがすべて夢だったかのように子供部
「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。」(エペソ4:26)人は時に怒る存在だ。それは義憤だったり自己保身的な怒りだったりする。怒りが罪だと聖書は言わない。重点は怒りのあまりにあることないこと付け加えたり
冒頭で呼びかけている「友よ」の友は複数形になっている。誰のことかと考えても分からない。タイトルは「ケセラセラ」とほぼ同じなので、そのフランス語ヴァージョンかと思ったが全く別の曲だった。内容的には理由の分からない苦しみに悩んでいるようだが、歌
成功したエグゼクティヴが実は芸術を通して自分を表現する分野で活躍したかったと果たせなかった夢を惜しんでいる歌。ミージカル・コメディーのナンバーのひとつとして書かれ、単独でも大ヒットし、その後自分のレパートリーに加えた歌手が結構いるようだ。今
第1楽章、ヴァイオリンのソロがいきなりどこか辛い過去を振り返っているような痛みを感じる第1主題を歌いだす。主題を引き継ぐオーケストラは深い悲しみに悶えているようだ。第2主題は落ち込んだ気分を引き上げるような動きを繰り返し変奏的に展開する。中間
第1楽章、運命に翻弄された悲劇の主人公が丘の上に立ち負けてなるものかと新たな闘志を燃え上がらせてあたりを睥睨しているような雰囲気で始まる。レチタティーヴォ風に過去の様々な苦難の道を思い起こしているようだ。チェロの短調による第1主題からは激しい
第1楽章、落ち着かない不安な出だしに突然オルガンが鳴り出し一気に劇的な盛り上がり一大スペクタクルは終了する。ここまでで1分くらい。本当に終わるわけではないが型破りな序奏だ。ファゴットののんきな歌に繋がるが打楽器を伴ってオーケストラが急激に咆
暗く重い宇宙空間から邪悪な精神生命体の侵略が始まろうとしている。蒸気機関車の推進力のような活力で凶事は目前に迫っている。第2主題は成すすべを知らない人々の不安に揺れる心が無調的な旋律で表される。展開部では危機感が拡大し発狂的な混乱が起こって
イギリスの詩人バイロンの作品に基づく音楽作品は「マンフレッド」「タッソーの嘆き」「マゼッパ」などが良く知られているが歌曲は極めて少ない。19世紀のイギリスの作曲家アイザック・ネイサンがバイロン卿にヘブル人を主題にした連作詩を書くように説得し、
「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」(Iコリント 2:9)遥かに遠い昔、アダムは神と直接対話していた。神の姿は人の形
ファンファーレ風の冒頭は若さの意気込みを感じる。続いて何事にも好奇心を弾ませるような爽やかな旋律が弦楽合奏を主体として奏される。音楽は一転して熱気を帯びる。スポーツ競技で走り回る者や応援に顔を輝かせる姿が見えるようだ。エースを胴上げして、共
序奏の爽やかな出だしから完全にロマン派の音楽のようだ。ヴァイオリン・ソロは低音から上へ駆け上って行く。深い悲しみの中に抑えきれない嗚咽が聞こえる。流麗な旋律はやがて光に向かって疾走し始める。後悔の念が再び湧き上がってくるが、空に手を伸ばして
低弦が蠢いている。無残な最期を迎えた死者の魂が地中から痛みを訴えているように立ち昇る。永劫の時の流れにさらされて尚痛みは消えず救いのない暗く冷たい地下で血を滴らせている。地獄とは別の意味で光がなく絶え間ない苦痛にさらされている情景だ。音楽は
パリを歌ったシャンソンはたくさんあり、多くの歌手に歌い継がれている。それは当然だが、もうひとつのフランス語圏の中心地モントリオールを題材にした歌はあまりないような気がする。この歌には情景描写も恋の歌もあまりないが聴いていてほっとする香りを感
第1楽章、噴水から湧き上がる水の飛跡に映る虹を描いたような出だしから魅力的だ。テンポ指示は陽気に歩くような感じということで良いのだろう。噴水の周りで餌をついばむ小鳥が跳ね回るような弾みのある音がゆっくり歩くようにしかも早めにという矛盾を典雅
マショーはフランス北東部のシャンパーニュ地方の貴族の出身で聖堂に属する聖職者としてもルクセンブルク伯の秘書としても各地を回り、40歳以降はランスから離れることなく同地で1377年4月13日に亡くなった。生年に関する記録はないが80歳くらいだったと推測
トランペットが不吉な影を感じるファンファーレを鳴らすとフルートに促されて弦楽合奏の導入部へと繋がっていく。ワルツは軽やかで怪しい雰囲気はまるでない。いろいろな人間がいるのと同様に魔女の概念も地域と年代によって邪悪な者から優しい魔女までいろい
「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すには、人はいったい何を差し出せばよいのでしょう。」(マタイ16:26)この聖句は戒めのようにも受け取れるが神の愛を表す表現として見る事もでき
ヒナステラが自分の子、2歳違いの兄と妹のために書いた楽しい曲。アルゼンチンの童謡3曲の旋律を基にして楽しく分かりやすい編曲に仕上がっている佳作だ。僕は3曲の元歌を知らないがアルゼンチンでは良く知られたもののようだ。最初に高音部に「アヴィニョン
第1楽章、閑散とした浜辺を歩くような情景が思い浮かぶ爽やかさに溢れる導入部がロマンチックだ。弦楽器の動きに波を感じる。遠くを見れば透き通った海に小船に優しい日差しが揺れている。管楽器の細やかな動きが単調な光景に時の移ろう色合いを添えているよ
歌詞は覚めているような、別れの実感よりも観念的な死別を見つめている気がする。一方で伴奏の表現力は死に直面した慰めようのない虚無感を美しく描いている。トスティの数少ないフランス語歌曲のひとつだが、感動的な一遍だと思う。《Francesco Paolo Tosti
低弦で主題が提示されてから総奏で繰り返されさらにフルートが同じ主題を舞い上がらせ抜けるような空に音が広がる。北欧的な厳しさの中に描かれた壮大な美しさはハープの音色を伴って優しさの中に丁重に鳴り響き幻想的な詩情を展開する。ホルンの霞んだ響きが
第1楽章、太古からの目覚めと言う霞のかかった雰囲気で始まり異国風の序奏に続く。シタールが登場すると瞑想的な独白となる。やがて旋律を受け答えする二重奏的な展開になる。シタールの音色の故か座禅を組んでいる僧侶の姿にふさわしい雰囲気だ。後半に入る
プレヴィンの誕生日に因んで2001年に発表された歌曲を選んでみた。プレヴィンらしいかどうかは判断できないがディキンソンは人気のある女流詩人だけに表現が面白い。プレヴィンがジャズ界の出身だと言うことは割りと良く知られている。ジャズ・ピアニストとし
第1楽章、独特のリズムでハープと弦楽器が喜び飛び跳ねている。フルートはもっと自由に風に吹かれるままに空中遊泳を楽しんでいるようだ。この曲の成り立ちに全く関係ないがヤコブの梯子と呼ばれる天から地に向かって伸ばされた階段を上り下りする天使の姿を