ストラヴィンスキーが80歳を超えた晩年の作品のひとつ。ケネディー大統領が1963年11月22日非業の死を遂げ、追悼の歌として委嘱され書かれた。
それにしても人を食った悲歌だ。伴奏は3本のクラリネット、かなり変わった編成だが、それは好いとして、徹底的に無機質に感情を殺したような音楽だ。喜びがないのは確かだが、敬意も哀悼も強くはない。ただ当時のアメリカ全体を豪華客船にたとえて、舵を突然失って乗客がパニック状態になっていたと思えばこんな歌しか作れなかったのも分かる気がする。もちろんストラヴィンスキーは大真面目で取り組んだわけで、逆に考えれば悲しみから余計な感情が削ぎ落とされ、純粋な悲劇が抽出されたとみるべきなのだろう。
ストラヴィンスキーらしい意表をつく追悼歌と考えれば納得もする。一説に詩を依頼されたオーディンは一政治家としてのケネディーに関心がなく、故にこんな淡白な詩になったとも伝えられている。《Igor Stravinsky:Elegy for J.F.K.》
*正しい者が死ぬと
哀悼と賞賛
悲しみと喜びがひとつとなる
どうしてあの時、どうしてあそこで
だからと言ってどうして、僕らが泣くのか、逝ってしまったから?
天は静寂に包まれている
彼は何者だったのか、彼は
彼がどんな存在になるのか
それは僕らしだいだ
彼の死を記憶に留めながら
僕らがどんな生き方をするか
それが彼の死の意味付けとなる
(*)
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