1978年、ソン・ウソク(ソン・ガンホ)は、釜山に弁護士事務所を開いた。
彼は高卒で、苦学して弁護士資格を取得、事務長にドンホ(オ・ダルス)を据え、新しく弁護士が扱えるようになった不動産登記分野に進出、司法書士たちから「仕事を横取りするな」と非難ごうごうなのをものともせず、荒稼ぎする。
やがて彼は、海が見渡せる高級マンションに入居。
そこは司法試験の勉強中、建築労働者としてアルバイトをしていた建物だった。
“絶対にあきらめない”。それがウソクのモットーだった。
1981年、前年の光州事件を受け、チョン・ドゥファン政権下では、反政府運動の取り締まりが強化されていた。
ソウルから釜山へ送られたチャ・ドンヨン(クァク・ドウォン)は、「アカを取り締まることが、国民のため」という信条の警察幹部。
そして、夜学で読書会をおこなっていた釜山大学の大学生たちを「国家保安法(いわば反共法。戦前の日本の治安維持法に似たところがある)」違反で逮捕。
逮捕された中にジヌ(イム・シワン)がいた。
ウソク弁護士行きつけの食堂の息子だ。
食堂を切り盛りする母親のシネ(キム・ヨンエ)から弁護を懇願されるものの、事務所ではゼネコンの顧問弁護士としての契約が控えていた。
ジヌの弁護をためらうウソク。
しかし、シネとともにジヌの面会に行ってみると、すっかり憔悴して暴行のあとのある姿に衝撃を受けた。
それは明らかな拷問の痕跡だった。
それまで、「成り上がり弁護士」のウソクは、韓国の世情に背を向けるようにして、金もうけにいそしんできた。
デモをする大学生にも「学生の本分は勉強のはず」と冷ややかで、そのことで、同級生で、新聞記者のユンテク(イ・ソンミン)と言い争いになったこともある。
ユンテクは「政府に都合のいい記事」しか書けないことに、いつも苦悩していたからだった。
だが、身近な人間が国家権力に痛めつけられたこと、そして調べると警察がでっちあげで冤罪をつくっていることに怒りがわいてきたウソクは、損得抜きでジヌたち大学生の弁護人を引き受けることに。
しかし検察官も弁護士仲間も冷ややかに「有罪無罪なのが問題なのではない。この裁判は要するに量刑だけだ」とウソクに言い放つのだ。
法廷に手錠姿で立たされる学生たち。
彼らの母親たちはその姿に目を覆う。
すかさずウソクは「刑事訴訟法では、公判では被告の身体を拘束できない、とある。すぐに手錠を外せ」と抗議。
彼の法廷戦術は、真向勝負の正論で、ひとつひとつ、警察の不当逮捕をあばいていく。
警察は「手柄」を立てるために言いがかりをつけて学生を「反政府暴動を企てるアカ」に、仕立てたようなものだった。
被告側に援軍が現れた。
ひそかに教会の礼拝堂に呼び出されたウソクが行ってみると、軍医のユン中尉(シム・ヒソプ)が、学生の拷問を目撃していて、証言をしてもいいという。
学生たちの無罪を勝ち取れるのは間違いなさそうだった。
しかし、検察側はユン中尉が軍務違反ではないかとねじ込んでくる。
「絶対にあきらめない」、それが信条のウソクは、必死に反対弁論をおこなうのだが・・・
主演は韓国の名優・ソン・ガンホ。
夏に見た映画では老練で孤独な李朝の王様を演じていたのに、
一転して若い熱血弁護士役。
年齢は違うけど、雰囲気と言い、演技が達者なところと言い、なんとなく松山ケンイチを思い出させた。
東京では封切り日の舞台あいさつのため、ご本人が来ていたらしい(東京の観客がうらやましい・・)。
実は弁護士のソン・ウソクにはモデルがいる。
元大統領のノ・ムヒョンである。
彼が若いころかかわった実際の事件が、この映画の元となっている。
「人権派弁護士」から民主化闘争を経て大統領に上り詰めたノ・ムヒョンだが、
晩年は行政能力を問われ、親族の不正疑惑が噴出し、2009年5月に投身自殺するという、痛ましい最期を遂げた。
しかしながら、批判も多いであろう人物でも、彼の業績にはきちんと光を当てて残そう、ということなのだろう。
ちょうど、というか、現在韓国ではパク・クネ大統領の友人の不正や国家機密漏洩やらで退陣要求デモが連日起きている状態。
「弁護人」を見て、改めて韓国大統領の末路をいろいろ考えさせられた。
70年代から80年代初めの韓国の国内事情を知っていれば、この映画の背景がよくわかるが、仮に知らなくても、法廷シーンはとても迫力と緊迫感がある。
法律を駆使して、いかに弱者を救えるかー。
宇都宮健児弁護士も「弁護士を目指す学生や法科大学院生に見てほしい」と推薦の言葉を寄せている。
さて、わたしには映画の中でおおっ!? と思うところがあった。
学生たちが使っていた読書会のテキストのひとつ、E.H.カーの「歴史とは何か」が、逮捕容疑になってしまうのだが、映画の舞台と同じ1981年、まさに大学に入学したわたしが、文学部史学科の授業で、夏休みのリポートの課題になったのがこの「歴史とは何か」だったのである。
映画では「E.H.カーはソ連に長く滞在していて社会主義者の疑いがある」と法廷で検察が読み上げるが、それに反証するためウソク弁護士はイギリス大使館に問い合わせ、
「カー教授がソ連に居たのは外交官だったため。『歴史とは何か』は学生の課題図書として推薦しており、ぜひ韓国の学生にも読んでほしい書籍である」と回答を引き出し、反対弁論をおこなう。
かつての大学のテキストが、こんな形で映画の中で出てくるとは。
わたしがノーテンキな女子大生をやっていたころ、韓国の学生は「歴史とは何か」を読むのさえ、非合法扱いだったのだ。
ちなみに、この本の内容はもう覚えていません(^^;
35年前に買った岩波新書だけど、まだわたしの本棚のどこかにあったはず・・・
(11月14日、シネ・リーブル梅田)
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