音楽を聴く上で、何の音か想像もできないほど妙な音を出す箇所もあるので、最初に使用する楽器の説明をしよう。基本的にピアノ、フルート、チェロの三重奏に加えて持ち回りでアンティック・シンバルや口笛に参加する形態を取っている。シンバルを除けばすべての楽器が電気増幅処理されている。アンティック・シンバルはクロタルとも呼ばれるが、小さなシンバルを音階順に並べたような楽器だが音色はシンバルとは全然違う。ヴィヴラフォンで代用する時もある。
I「ヴォカリーズ - 時の始まりに」、殆ど尺八のように聞こえるフルート。特殊奏法だらけなので細かくは触れないが、フルートは声を出しながら吹く。鯨の歌声のイメージに近付けるかどうかは声のコントロール次第で微妙なところだ。ピアノが登場する。内部奏法で弦を押さえるので打楽器のように響く。大きな図体を動かすエネルギーを感じる。海に浮かぶ鯨の雄大な姿が通常の音色のフルートによって描かれる。
II「海の時代の変奏曲 - 海の主題」チェロが鳴く。小さな鳥の声ようだ。ピアノは穏やかで底深い波だろうか。穏やかで音も寝静まっている夜の情景が広がっている。果てしない海、陸地はどこにもない。
III「第1変奏:始生代」、チェロとピアノによる二重奏。海がざわめき、チェロのグリッサンドによる海鳥が鳴いている。ただそれだけで鯨の姿は見えない。水の上には霊気が漂っている。40億年前の海の表情は寂しかった。
IV「第2変奏:原生代」、フルートが夜明けの近いことを告げる。チェロはピチカートで参入、まるで琵琶のような音色で墓の側に佇む耳なし芳一の場面を連想する。喉を掻き鳴らすような音はピアノの弦を引っ掻いているのだろうか。25億年前の海は淀んでいた。
V「第3変奏:古生代」、ピアノの激しい打鍵で始まる。生命の活発な動きを感じる。5億5千万年前の海は冷たく澄んでいて小さな生命に満ち溢れていた。
VI「第4変奏:中生代」、水面を突き破って魚が飛び交う。プリペアドピアノがフォルテで水を撹乱する。チェロとフルートは水の勢いでリズムもテンポも砕かれ揺れる。5億5千万年前の海は衝撃的だった。恐竜の全盛期だが、ここには登場しない。
VII「第5変奏:新生代」、第4変奏から雪崩れ込んで続く。半ばまでは各楽器のモノローグで繋がっている。後半はピアノとチェロが重い足音を響かせる。陸地の恐竜だろうか。フルートが「時の始まり」を再現する。ピアノ奏者の口笛で時間のループが繋がる。6500万年前の海の余韻を人類が乱し始めた。フィナーレは滅び行く時代への警鐘だ。
VIII「海の夜想曲 - 時の終わりに」、幻想的な三重奏曲だ。海風が強く吹きベルを鳴らず。口笛とアンティック・シンバルによる。なめらかな肌をした鯨がスマートに泳いでいる。全体的に音色が暗いがとても美しい挽歌だ。フィナーレですべての音が穏やかに息絶えて消滅する。
作曲者の指示により、演奏者は顔を隠す黒いアイマスクを用いる。照明もブルーライトが好ましいとなっている。全体としてプロローグとエピローグの間に変奏曲を挟んだ三部構成になっている。変奏曲の時代別のタイトルに意味があるのか、良く分からない。通常の意味での旋律には乏しい音楽だが聴きやすく楽しめる。
地球が誕生して45億年くらいになるらしい。この世に形あるもので滅びないものはない。地球もいつか滅びるが、その命を縮めているのは人類なのかもしれない。今、必要な手を打たなければ、そして同じ滅びるにしても有終の美を飾りたいという祈りがこめられているようだ。《George Crumb(1929.10.24 - ):Vox balaenae for three masked players》
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