録画していたNHKのETV特集を見た。
アフガンの地で長く支援活動をおこなう、「ペシャワール会」の中村哲氏については知る人も多かろう。
アフガニスタンでは2000年、かつてない大干ばつに見舞われ、人々は疲弊、難民も多く生んでいた。
医師として医療支援をおこなっていた中村医師は「100人の医者より1本の用水路が多くの人を助ける」という信念のもと、砂漠化した大地に川から水を引くべく、取水口、堰の工事をおこない、長大な用水路を現地農民とともに掘り、緑の沃野をつくることに成功した。
医師である中村氏はもちろん土木工事はまったくの素人。
日本の専門書を読み、スタッフとともに検討を重ね、ときには自らブルドーザーを操縦、粘り強く工事を進めた結果、乾いて荒れた土地は、奇跡のように麦畑や稲田に変わったのだ。
さらに中村氏は、地元の人々の要請から、用水路の近くにモスクと子供たちが通える学校の建設にも携わった。
60分のドキュメンタリーだが、この時間では収まらない、中村氏はじめペシャワール会のスタッフ、さらに協力した現地の人々の苦労があったと思われる。
そしてこの放送をご覧になった方は「どうしてそこまで中村さんはアフガニスタンのために尽くすのだろう?」と疑問に思うかもしれない。
彼は言う。
「目の前の困っている人を見捨てて逃げるわけにはいかない」。
わたしは古い言葉だが「義を見てせざるは勇無きなり」がすぐに浮かんできた。
見て見ぬ振りなんぞできないぞ、そういうシンプルな信念が、彼を動かしているのだと思う。
だがその正義感が積み重なって、多くの人々を救った。
灌漑で農地の恩恵を受けた住民は60万人に上ると言われている。
しかし中村氏には気負いがない。
水が用水路に流れ、歓喜する人々を見るのが無上の喜びだ、と。
実はわたしは中村氏とちょっとばかりゆかりがある。
彼は九大医学部出身、登山が好きなこともあって、パキスタンのヒンドゥークシュ山脈登山隊に医師として帯同したことがきっかけになり、パキスタンのペシャワールへ医療支援に赴き、らい病患者の診察にあたった。
その活動をつづった本を、中村氏が福岡の出版社から刊行したのだが、当時失業中のわたしはその出版社でアルバイトをしており、彼の著書「ペシャワールにて」の編集を手伝った。
途上国で医療支援してるんだ、という押しつけがましさもみょうな意気込みなどもなく、高山の蝶が好きでパキスタンに行ったんだというくだりでは、どこか含羞を感じられた。
らい病患者対象に、患部が痛くないように、オリジナルのサンダルを作った話など、今思えば「自分で創意工夫してできることをやってみる」という姿勢は、当時から中村氏の中に根付いていたのがよくわかる。
出版は1988年だった。
その後、中村氏の医療支援活動は本格化していく。
1993年ごろだと思うが、わたしはボランティアで市民大学講座のスタッフをやっていて、その講座の講師にだれを呼ぶか、という会議で「中村哲さんはどうですか?」と提案した。
まだその頃は中村氏の知名度は、地元の福岡でもさほどなかったのかもしれない。
事務局長はあまり乗り気でなく、「ふーん、そう。じゃ、ごんふくさん手配してね」とだけ言ってわたしに丸投げ(^^;
わたしは本を出した出版社の社長に電話を入れて会いに行き、中村さんを講師にお願いできないかと言ったところ、ちょうどペシャワールから来月帰国するから頼んでみますよ、と快諾。
日程を調整して、市民講座でお話してもらえることになった。
当日の司会は私がとりおこなった。
当時は、まだ「干ばつ対策の灌漑事業までは手掛けていなかったが、ODAとは違う、ほんとうに現地の困っている人のための支援とは何か、どれだけ地元の人の心に沿っていけるか、ということを話された。
風貌から、日本に帰ると中東の人間に間違えられてしまう、つい「ワタシ、ムハマド、デス」などと答えてしまったこともある、などと笑わせた。
そのとき、なんと和歌山から講座の開かれた福岡まで、どうしても中村先生のお話が聴きたいのです、と言って聴講に来た女性がいたのを覚えている。
中村氏の地道な活動を伝え聞いていたのだという。
中村氏はパキスタンから内戦で混乱を増すアフガンに活動拠点を移すが、治安は悪化。番組の中でも、用水路の工事をしている真上を、タリバン掃討作戦らしい米軍のヘリが飛んでいく。
しかし中村氏は、
「空では米軍のヘリが人を殺すために飛び、地上では命の恵みのために我々は働いている」と語るのだ。
今でも九州弁が抜けず、テレビの中の中村氏は、わたしが初めてお会いしたころとほとんど変わっていないように見えた。むしろエネルギーのかたまりそのもので若々しく見えた。
立派な人ですね、偉い人ですね、そんなありきたりの賛辞では収まらないところがこの人にはある。
ちなみに作家・火野葦平は中村氏の叔父にあたる。
「義侠心」というこれまた古めかしい言葉がわたしのこころに浮かぶ。
そして長らくパキスタンやアフガニスタンで活動し、写真や映像では現地の民族衣装を身に着けているので意外に思うかもしれないが、彼自身はクリスチャンである。
キリストの無償の愛と九州人の正義感を彼はあわせもっているにちがいない。
※ペシャワール会のホームページはこちら
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/
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