八月のうんざりする猛暑で、いろんな気力をそがれ、mixiの日記もとどこおりがち。
昨夜、ひさしぶりのまとまった雨のおかげでかなり気温も下がり、きょうは涼しい風も吹き抜けてだいぶ快適になった。
今までは風が吹けば熱風さながらだったのだ。
それにしても最高気温が32度と聞いて「おっ、きょうは涼しいな」と思うだなんて、やはり異常気象である。
和泉市にある「大阪府立弥生文化博物館」で開催中の「世界の文字の物語〜ユーラシア 文字のかたち」展を見に行ってきた。
地下鉄御堂筋線の天王寺駅でJR阪和線に乗り換え、関空方面の快速電車で20分ほどだ。
駅から博物館までは、入り組んだ路地を歩くが、白壁の大きなお屋敷が何軒も。
人類が、自分の思いをきちんと伝えたい、そして後世に残したい、そう切望したところから「文字」が生まれたのだろう。
わたしが読める文字と言えば、漢字、かな、アルファベット、そしてハングル文字と、キリル文字をちょっと(昔アエロフロートに乗ったとき、機内誌に掲載されていた「キリル文字の読み方ガイド」で覚えたので、ロシア語自体はまったく知らない)。
館内では、楔形文字に始まる、世界のさまざまな文字が、それが記された文物とともに紹介されていた。
なぜ楔形文字はあんな形状かというと、もともと粘土板に刻んでいたためであり、文字を記録する媒体が粘土や石から、布や木簡紙や紙に変わるにつれ、「刻む」タイプから「書く」タイプに変化し、フェニキア文字が登場し、アルファベットをうんだ、という背景や、文字数が少なく単純なアルファベットに楔形文字がとってかわられていくが、それは簡便さだけが理由なのか? たとえば日本では複雑な「漢字」が千数百年以上も使われていることを考えれば、むしろ前7世紀末のアッシリア崩壊といった「政治状況」にも理由を求められるだろう、といった考察が面白かった。
「文字」にフォーカスして一堂に集めた展覧会、ということではじめて知る文字もさまざまだ。
ソグド文字(ソグド語は、シリアのアラム人が使用していたアラム語から派生)
カローシュティー文字、ブラーフミー文字(インドの言語を記した文字)
ルーニック文字(8〜10世紀、中央ユーラシアでトルコ系諸語を表すために使われた)
サバ文字、ゲエズ文字(南アラビアで使用)
女真文字、西夏文字(漢字がもとになっている)
トンパ文字(中国・雲南省ナシ族が使用。どこかエジプトのヒエログリフを思わせる)
学生時代、「西夏文字」を目にしたとき、その独特の流麗な文字に引き付けられたのを思い出す。
日本では漢字を大胆に簡略化した「かたかな、ひらがな」を生んだが、東アジアでは漢字をベースにしつつも、かなほどの崩し方をしていないのも興味深い。
まったくのオリジナルだったり、すでにあるものを改変・借用したり、ハングル文字のように読み書きしやすいように「国策」で作られたり、その来歴もいろんなパターンがある。
アラビア文字はアルファベットの次に現代でも多く使われ、文字も千年以上変化していない、という事実も意外だった。
昨今、文字は「書く」ことより、「打つ」ことで表すケースがめっきり多くなった。
粘土板に刻んだときからはや5000年、人類の思念は今後どう伝わっていくのか。
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