少々前になるが、蓮實重彦氏の小説「伯爵夫人」が「第29回三島由紀夫賞」を受賞した際の、記者会見でのやりとりが話題になっていた。
「まったく喜んではおりません。はた迷惑な話だと思っております」と不愉快そうに答え、報道陣からの質問には「馬鹿な質問はやめていただけますか」と返す徹底ぶり。
「お答えする必要はありません」とか、文学賞の記者会見にしては異例ずくめの発言に、
「そんなにイヤなら賞を辞退すりゃいいのに」と思った人も多かろう。
いや、いかにも蓮實氏らしい、と言う人も。
若い世代の間では「面白いおっさんだ。どういう人なんだろう?」とネットでも話題に上っていたようだ。
わたしはインテリではないので、蓮實氏の著作は読んだことがないし、そもそもフランス文学にはまったくうとい。
ただ、彼は新聞や雑誌に寄稿することも多いので、もっぱらわたしが読んだのは映画評論である。
そういえばこれも10数年前、ある女性ニュースキャスターとの対談が週刊誌に掲載されていたが、
「蓮實先生がお好きな映画は何ですか?」という女性キャスターの質問に、蓮實氏がぶっきらぼうに
「好きな映画・・・2000本ありますから」
と答えていたのが、今でも忘れられない。
さて、わたしが蓮實重彦氏と聞いて思いだすのは、元東大総長でも映画評論家でも仏文学者でも作家でもない、スポーツ評論家としての姿である。
もう30年以上前になろうか。
突然(と、わたしには思えた)、草野進(くさの・しん)なるプロ野球評論家がマスコミに現れた。
当時わたしが毎号のように購読していた「スポーツグラフィック Number」にもコラムを書いていたように思う。
帰国子女で、華道家の女性、というフレコミだった。
いわく、ひいきチームを持つな、TV中継でなくスタジアムでこそプレーを見ろといったことにはじまり、
「三塁打は今日のプロ野球にあってひとつの不条理であるが故にその存在理由があるのだ」
「爽快なエラーはプロ野球に不可欠の積極的プレーである」
といういわばもってまわった文学的修辞をちりばめた、野球評論を繰り広げていた。
野村克也の野球解説にも批判的であり、野球関係者とも、野球好きのスポーツライターとも違う文体と視点は、あの頃けっこう話題になったと思う。
わたしも彼女の「プロ野球批評宣言」「世紀末のプロ野球」などの著作を買って読んだものだ。
わたしは、まったく別のベクトルから彼女に興味があった。
それはとりもなおさず、「女性がプロ野球の評論を書いている」という点である。
30年前はまだ、
「え? 女の子がプロ野球を見るの?」と驚かれることが多かった。
野球のルールや選手に詳しいと、それだけで感心されたものである。
もっともそれは「女なのに」という前ふりがあってこそだった。
そしてそれは「女なのに野球に詳しくてすごいね」から、
「女のくせに野球なんかに詳しいなんて、可愛くない」に、容易に転化することを知ることになる。
プロ野球観戦は男のもの、というジェンダーがまだ根強くあったように思う。
だから草野進の出現は、わたしにとっては「同志」の出現に似た思いを抱かせた。
女性でも、こんなに掘り下げてプロ野球を見ている、すごいよね、と、当時22,3歳だったわたしはどこか嬉しさがあった。彼女がこういう文章を書くようになった背景をぜひ知りたいと思ったものの、いつのまにかスポーツマスコミからその名前は消えていた。
そして、草野進とは、蓮實重彦氏のペンネームである、とのちに知ることになる。
これは「公然の秘密」であり、御当人がそれを認めた発言は聞いたことがないが、わたしはそりゃ、ショックでしたねえ。
あの頃は草野進が女性と信じて疑わなかったのだから。
思い返せば、あの回りくどい、理屈っぽい文章は、たしかに蓮實氏らしいしなあ、と今にして思う。
だったら、筆者は女性、なんてことにしなくてもよかったのにさ、とわたしは今でもだまされた気分をかかえてはいるのだが、彼にしてみれば「はた迷惑な話」なのだろう(笑)。
ところで、この日記の表題になってる
「記録よりも記憶に残る選手」であるが、これこそわたしの記憶に間違いがなければ、よく出来たダジャレのようなこの言い回しを最初に使ったのは、草野進氏である。
だが、いつのまにかこのフレーズがみょうに広まってしまって、あの新庄剛志選手が、
「記録よりも記憶に残る選手になりたいです」
とインタビューで使ったりしているのを聞きさえもした。
もし言葉にも著作権があるとすれば、これは蓮實氏にこそ権利があるだろう。
もっともそんなことを今さら言っても、「私を不機嫌にさせる話です」と言われておしまいか。
昨日、球速163キロを出した大谷翔平は、まちがいなく、記録にも記憶にも残る選手であろう。
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