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2016年04月17日09:05

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小さな事を忠実に

「ですから、愚かにならないで、主のみこころは何であるかを、よく悟りなさい」(エペソ5:17)御心のままにと言いながら自分の判断で勝手な道を選んでいる事はないだろうか。人間の性として二者択一を迫られると楽そうな、得しそうな方を選んでしまう。あえて困難を背負いたいと言う人はいないだろうし、困難を背負うことが御心だとは限らない。ただあまりにも安易に行く道を決めてしまうので神には関与できる隙がない。クリスチャンにとって自分の行動に疑問を持った時に問うのはWWJDだ。有名なので多くの人が知っている。What would Jesus do? イエス様ならどうするだろう?との問いかけだ。ゲッセマネの祈りでイエスは十字架に架けられる定めを回避できないかと神に問いかけた。神の子といえども、喜び勇んで十字架に架かりたいと思ったわけではない。しかしその人生において御心に従うことを優先したように、もっとも残忍で苦しい最期の選択をなされた。正直な話し、キリストと同じ心を持てる人間はいない。「神さま、あなたはこうしろと言いますが、今の私にはそれに従う力もありません」と言う保留領域がひとつならずあるはずだ。1950年頃、青函連絡船が沈没した事故で千人以上の人が亡くなった。船に乗り合わせた宣教師が自分に与えられた救命胴衣を脱いでそばにいた子供に着せた。子供は助かり、自分は命を落とした。神はこんな身代わりを誰にでも求めてはいないが、その場でとっさに自分を捨てることができたのは日頃の祈りの力なのだろう。判断に迷った時、とっさに選んではいけない。まず祈って御心を知ろう。答えは聞こえないかもしれない。だから自分が知っているイエス様ならこの場合どうするだろうと考えることも必要なのだ。御心を知るために、常にイエス様から目をそらしてはいけない。御心は聖書を通して語られる。だから毎日の聖書通読やデヴォーションはとても大事だ。御心のままに、WWJD、自分の人生を賭けるほど大きな事を考えなくてもいい。できないことに痛みを抱えずに、小さな事に忠実に従うことから始めよう。キリストは愛の人だ。手を貸してあげるべきなのに目を背けてきた罪、したいとも思わないのに犯してしまった罪、するべきことを投げ出した罪、そのすべての罪に対してもキリストの十字架の贖いはすでに完了している。




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