以前から、ずっと疑問でした。
人の住まなくなった家って、どうしてあっという間に荒れて、朽ちていくんだろう?
今では、こう考えています。
住む家も、住む場所も、そこにいる人間次第なんだ、と。
荒れるのは、人の住んでいない家だけじゃないですよね。人が入っているのに化け物屋敷みたいな風情の家、けっこうあると思いませんか?
結局、人間の放つ「気」が、土地や家を生かしもすれば殺しもするのでしょう。
劇中、ヒロイン役の竹内結子が、新居を建てる予定の土地を見に行って、こんなことを言います。
「(この土地と)ご縁があったんだねえ」
この気持ち、私もよくわかります。
私自身、今住んでいる家と出会ったときも、そう感じましたから。
正直、その家はあまり「スジ」の良くないものでした。所有者が住居としてでなく「財産の一部」として所有していたので、中は荒れ放題でかなりのリフォームが必要な状態だったのです(他にもいろいろ曰くがあるのですが、ここでは書きません)。
でも、家の様子や作りはとてもしっかりしていたし、庭も手入れすればきれいになるな、と思い、購入しました。
それから10年、私たち夫婦と義父母は大きな不幸やトラブルに見舞われることもなく、平穏に暮らしています。
きっと私たちは、ここに、この家に住むべくして住んでいるんだろうな。私たちの「気」が、ここに正しく根付いているんだな。
そうなるか、ならないか。それが土地と人との縁なのでしょう。
要するに、忌まわしい場所、忌まわしい家を生み出してしまうのは、そこに住む人間なんです。穢れをウィルスのように撒き散らし、異様なスポットを作ってしまうのは、人間自身なんです。
映画の後半、ある土地が放つ「穢れ」が何人もの登場人物たちに同時多発的に襲いかかる件りがあります。
あれを観て、「なんだよ、それだったら人が安心して住める場所なんてどこにもないじゃん。人の死やら何やらにぜんぜん関わってない土地なんてあるわけないし」と思う向きもあるでしょう。
確かにそのとおり。でも、それもとどのつまりは人間次第。土地に憑いてしまった穢れに喰われてしまうかそうでないかは、住む人間の心がけ一つなんですよね。
土地や家を生かすも殺すも、そこにいる人間の心のありようが決める。呪いや祟り、穢れを祓うのは、恥ずべき生き方をしない人の魂。
畏れを持ちつつ、恐れない。
この気持ちがきっと大事なんだろうなあと、私は思います。
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