スティーヴン・スピルバーグの最新作「ブリッジ・オブ・スパイ」観てきました。
優れた反米愛国映画だと思いました。つまり本物の「愛国映画」ってことです。
ソビエト連邦のスパイとして逮捕・起訴されたルドルフ・アベルの弁護に立つ主人公、ジム・ドノヴァンは、この映画では極めて真っ当な愛国者として描かれています。「史実に基づくフィクション」ですから必ずしも実在したドノヴァンがああした理想主義者であったかどうかは不明ですが、脚本のコーエン兄弟と監督のスピルバーグは創作した「彼」を通じて「私たちの信じるアメリカよ、かくあれ」と訴えたかったのでしょう。
残念ながら我がニッポンでは、こうした「愛国映画」は作られる気配はありませんね。
最近では「平等」という言葉は流行りませんが、本作は社会を構成・維持していく上でとても大切なこの概念をしっかり描破しています。
正確に言えば「法の下の平等」です。
ドノヴァンがアベルを弁護する上で基盤としたのが、それでした。
いかなる人物も同じ法によって同じように裁かれるべきという考えは、法治国家に生きる者として当然共有されるべきものですが、残念ながら人間とは情けないもので、なかなか皆がその境地に達しません。
スピルバーグは冷戦下の自国民の大多数の姿、ヒステリックで不寛容で思慮に欠け、法の精神などに目もくれない姿をあからさまに描いています。
そんな状況下で法廷闘争に臨み、憲法の精神を顕現しようとするドノヴァンこそ、私は真の法律家であり、また愛国者だと思いました(ああいう「憲法の尊重」というごく当たり前の概念を、どこかの国の首相とその信奉者は知るべきですね)。
一つ興味深かったのは、後半でドノヴァンが「捕虜交換のための交渉」という極めて重大な任務の遂行を、民間人であるにもかかわらず依頼されたこと。
これは日本では考えにくいことですよね。何しろコチラの官僚さんは「お国の重要な仕事はオレ達のもの。バカな民間人なんかにやらせられるか」というご立派な態度をお取りになることが多いらしいですから。
翻ってアチラさんではジョン・ル・カレの「リトル・ドラマー・ガール」みたいに「少々ヤバい仕事だけれど、その道のエキスパートにまかせるってのもアリじゃない?」と考えることがあるみたいですね。そういう柔軟さ、大事だと思うなあ。商社マンやNGO職員は時として「優秀なスパイ」になり得るそうですし。
あと、大事なことを一つ。
アメリカに限らずどこの国もそうでしょうが、国家は海外に渡った自国民の生命及び財産を必ずしも尊重しません。そのことが本作の後半ではっきりと描かれています(コスタ・ガブラスの「ミッシング」もそうでしたね)。
東ドイツで拘束されたアメリカ人学生に対するCIAの冷淡さを見ていて、私など背筋が寒くなりましたよ。何しろあの冷淡さが、いつぞやのイラク人質事件によって日本人の中にも確固としてあるということがよーくわかりましたから。
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