池澤夏樹ファンのmixiコミュニティサイトの情報で、関西大学文学部での講演を知りました。
現在、池澤氏は関大文学部の「客員教授」に就任、ときおり大学で「客員教授講演会」がおこなわれているようです。
関大は、わたしの現在の住まいからもほど近く、関大のサイトには「文学部学生以外の参加も歓迎」とあります。経済学部の教授が、わたしの大学時代の恩師でもあるのでメールで「まったくの部外者ですが聴講しても大丈夫ですか?」とたずねたところ「ぜひどうぞ」との答えをいただき、自分の息子や娘のような年まわりの若者の中に紛れ込んで、お話を聞いてまいりました。と言いつつ、ちゃっかり一番前の席で聴いておりましたが・・以下、講演の内容です。(12月11日)
文学はどうやってつくられるか、ということで「編集」と「翻訳」についてお話します。
編集、と言うと普通は作家から原稿を集め、時には写真なども入れてレイアウトして本を作る、プロデューサー的なもの、作家が主役で編集はそのお手伝い、という位置づけだと思います。
二次的な価値のように受け取られているが、文学の始まりではそうではなかった。
編集や翻訳は創作と同じように価値がある、ということです。
僕は現在、河出書房新社から出ている「日本文学全集」を編んでいますが、古典文学については、本を読む楽しみが大事なので、現代語訳にしました。
しかし、けしからん、と言う人も出てきます。三島由紀夫などは古典は神聖なものなので、現代語訳はもってのほか、という主張。彼は古典を女神のようにあがめていたわけです。ほかにも同様の老大家はいますが、僕は、女神のまとっている羽衣を脱いで、セーターとジーンズに着替えてもらおう、と。
そして現代語訳をするのは、学者ではなく、ピカピカして、ガンガンくる、今を生きている作家に依頼しました。いわばマッチングをしたわけです。
声をかけると大半の作家が引き受けてくれました。僕は後ろで彼らを頑張れ、と叱咤激励するつもりが、それはダメだ、お前もやれ、と言われ「古事記」訳を引き受けた次第です。
「古事記」の文章はひとつひとつが短くもってまわった言い方をしない、そんなに難しくないから、というのを知っていたのでやりました。
翻訳とは、一番丁寧に読むことです。
「古事記」は、その素材である神話・伝承、歌謡、系図が合わさったもの。
稗田阿礼の頭に浮かんだものを書きとめたのではなく、多人格を束ねたようなものではなかったか。各地の神話・伝説を集め、一定の方針のもとに配列されている。
上巻は国の起こり、中巻は神武天皇から国の体裁ができるまで、下巻はいろいろな人々の冒険。
神の名前、人の名前だけで、出てくるのは千人を超える。
天皇家とのつながりを強調し、国の運営を容易にすることが目的であり、創作ではなく、素材を集めたうえで組み立てていく。
これも文学をやる上で、大事な仕事なのではないか。
文学史を見て見ると、「編集」のものがある時代まで多い。
たとえば万葉集。
これも一定の方針のもとに選びだして配列して、万葉集ができた。
僕が文学全集を作ってわかったのは、日本人は恋の話が本当に好きだ、ということ。
そもそも「古事記」のさいしょに出てくる「イザナギ、イザナミ」の名前も語源は「いざなう」です。
恋のことを誰もが考える、日本全体の雰囲気がそこにあった。
そして自然に重ねて意味を見出す、ということをします。
僕はフランス人に「僕らの国には50ぐらい季節がある」と言います。
たとえば春には桜の咲き始め、満開、散った頃とそれぞれに情景を歌う。
万葉集に、
「君が行く 海辺の宿に 霧立たば わが立ち嘆く 息と知りませ 」という歌があります。
新羅に行くーいわば海外赴任ですがーあなたの海辺の宿に霧が立ったら、それは私が嘆く吐息です・・・という意味。
自然と感情を重ねて恋ごころを歌っています。
歌を読み合うことをイベントとしてやろう、ということでやったのが歌合(うたあわせ)。
いわば和歌のコンテストです。
小野小町と対決することになった男が、こっそり彼女の家の陰で小町の歌を盗み聞きし、それを万葉集の本に書きこむ。歌合でははるかに小町の歌の出来が良くて勝ちとなったところに、万葉集にすでにある歌で盗作だぞ、と男が言う。
小野小町は、それを水で洗って下さい、と答える。昨夜書き足したその歌は墨が新しく、たちまち流れ落ちてしまった、という話もあります。
「竹取物語」もひとりの筆によるもののようだが、素材は色々なものから来ている。
天に在る者が地上に降りて、また天に還って来る、これは各地で見られる「羽衣伝説」。
このパターンは海外にもあり、トルストイの「人はなぜ生きるか」もそうですー裸の男を家に連れ帰って世話をし、その男が実は天使であったという話ー。
それから「婿取り」における試練。
娘を嫁に欲しい、という男に試練を課す話が出てくる。
古事記にも、スサノオの娘をめとりたいオオナムチにスサノオが試練を課す物語がある。それにパスしたら、娘をやる、と。
「竹取物語」では五人がかぐや姫に求婚する。
創作には違いないが、非常に編集的であると言える。
「説話文学」は短い、実話っぱい話をが集められ、落語のようなリアリティがある。
「今昔物語」などは1000話ぐらい。これも誰かが集めたもの。
集めて、選んで、並べて、まとめる。非常に編集的。
創作童謡の文学的いとなみと言えます。
現代は、一個一個の作品に作家の名前がついているから、それを発表すればいい。
昔は個人の作品が一対一ではなかった。
お話は作家名ではなく、面白さによって伝わっていった。
これは文学だけでなく、美術も同様。
無名の職人の作った工芸品が美しかったりする。
現代では、ひとりひとりの名前が出過ぎて。全体像が見えなくなっている気がする。
文学の編集には批評家の存在も必要。
最初の批評家と言うべき人物は藤原定家。そして江戸時代は松尾芭蕉、明治では正岡子規。
指導的な批評家は、今、いないと思います。
個々の作品を生む努力とともに、それらをまとめて束ねていく力が要ります。
僕は文学全集を編むことは、とても文学的なことだと気付きました。
だから(古事記の編纂にたずさわった)太安万侶(おおのやすまろ)には、非常に親近感、連帯感があります。
「源氏物語」は作家名はわかっているが、「平家物語」にはない。
連綿と語られていた話が、優秀なひとに統一され、まとめられた。
(続く)
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