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2015年08月21日21:44

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檸檬

先日、NHKの関西ローカルニュースで、「丸善京都店が10年ぶりに再オープン」とのトピックが。

京都の丸善と言えば、梶井基次郎の「檸檬」に登場することで有名。
2005年に閉店したが、今度再び阪急河原町駅近くにオープンが決まったらしい。
そうなのかー、という程度で、そのときは夕飯の支度をしながら見るとはなしに見ていたが、今朝の新聞を見ると丸善京都本店が全面広告を出しており、きょうが開店日だとの告知が。

なんでも2000円以上買い物した先着10,000名に、梶井基次郎の短編「檸檬」を収録した『檸檬ノヲト(非売品)』プレゼントなんだとか。

ミーハーなわたし、ちょうど「フェルメール リ・クリエイト展(複製画だが、限りなくオリジナルに近いフェルメールの全作品を原寸大で展示)」が京都で開催中で、もうじき会期終了なのもあって、それを見るのも兼ねて、阪急電車で京都へ。

京都の予想最高気温は32度。
おお、涼しいぞ(笑)。こないだまで、連日37度だったのだ。
丸善は新しくできた商業ビルの地下1階、地下2階に入店している。
開店時間から間もないのに、けっこうなひとごみ。
あまり回遊すると、ついつい本を買ってしまいそうなので、本棚をくまなく見て回るのはガマンし、1冊だけ購入して撤退。

先着プレゼントの「檸檬」をゲット。
う〜ん、どうせならホンモノの瀬戸内レモンをプレゼント、とかのほうがおもしろかったのに。

さて、「檸檬」を読むのは30数年ぶりか。
わたしが最初に梶井基次郎の名前を知ったのは、中2のとき。
その夏、文壇は今年の又吉直樹以上の大フィーバー(死語?)に沸いていた。
村上龍の芥川賞受賞である。そのふてぶてしい容貌、若さ、そして受賞作の内容がセックスとドラッグというセンセーショナルな題材だったために、彼は一躍時の人となった。何より、作品名が、

「限りなく透明に近いブルー」

というキャッチーなものであったことも、ブームを盛り上げた。
ここではそれについては触れないけど、村上龍が受賞後のインタビューで「梶井基次郎が好き」と語っていたのだ。
当時の文壇の長老である選考委員の瀧井孝作(という作家の名前を、現代ではどれだけの人が知っているだろうか)が、「村上氏が梶井基次郎を好んでいる、と知って、文体にうっすらとした悲しみのようなものがあるのがうなずけた」と選評を寄せていた。
現代風俗の最先端を描く若者と、昭和の初めに夭折した作家、という取り合わせも絶妙で、わたしの13歳の夏休みはふたりの作家を知ることとなった。
ただし、実際に村上龍や梶井基次郎の小説を読むのは、もう少しあとになってからである(中学生には「限りなく・・」は刺激が強すぎるだろう、と幼い私は「自主規制」したのだ)。


「店頭につけられた幾つもの電燈が驟雨のように浴せかける絢爛は、周囲の何者にも奪われることなく、肆(ほしいまま)にも美しい眺めが照し出されているのだ。」
「私は何度も何度もその果実を鼻に持って行っては嗅いでみた。・・・・そしてふかぶかと胸一杯に匂やかな空気を吸込めば、ついぞ胸一杯に呼吸したことのなかった私の身体や顔には温い血のほとぼりが昇って来てなんだか身内に元気が目覚めて来たのだった。
 実際あんな単純な冷覚や触覚や嗅覚や視覚が、ずっと昔からこればかり探していたのだと云いたくなったほど私にしっくりしたなんて私は不思議に思える」

あざやかでみずみずしい比喩、さわやかな風が吹き抜けるような描写。
こういう文章を読むと、「文学とは、言語芸術なのです」と語った、旧知の大学教授の言葉がうかぶ。そして読み込むごとに、豊潤なイメージが、血肉になっていくような気がする。

でも、檸檬爆弾を仕掛けられて、丸善は木っ端みじんになっちゃうんだよなー(あくまでも梶井基次郎の頭の中で)。それなのにあやういテロリズムの残像が、いまや何よりも「丸善」のイメージアップと権威付けになっているとは、天国の梶井基次郎も苦笑するしかないだろう。
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