マイミクさんが今年2月にソウルの映画館でご覧になり、内容を聞いて「日本でも上映されないかなあ」と公開を心待ちにしていた韓国映画だ。
1968年、ソウルの音楽鑑賞室「セシボン」では、ギターを奏でてフォークソングを歌う大学生が人気を集め、毎週投票で優勝者を決める勝ち抜き合戦も行われていた。人気の中心は、ソン・チャンシク(チョ・ボンネ)と、国民的詩人・ユン・ドンジュの遠縁にあたる、医学生のユン・ヒョンジュ(カン・ハヌル)。
イ・ジャンヒ(チング)も「セシボン」の常連で、作曲もしていたが、彼はプロデューサー志望。
「セシボン」のオーナー・キム社長(クォン・ヘヒョ・・・「冬ソナ」のキム次長役)とジャンヒは、チャンシクとヒョンジュの人気に目を付け、プロデビューを計画する。
だが、ふたりとも個性が強烈で、ライバル心も強い。緩衝材のようにもうひとり加えたほうがいいのでは? と三人目のメンバーを探すことに(「アリス」のキンちゃんみたいなもんか・・映画ではビートルズにおけるリンゴやジョージの名前を挙げていたが)。
ジャンヒは、たまたま鼻歌を歌っていたオ・グンテ(チョンウ・・・佐々木蔵之介そっくり)の声量にピンと来て、三人目のメンバーに加えることに。
しかし、グンテは慶尚南道・統営(トンヨン)の出身で漁師の息子、ギターも弾けない。
チャンシクとヒョンジュに田舎者とさげすまれながら、グンテは、他のふたりにハーモニーを合わせ、ギターもジャンヒに習う。
「セシボン」ではミュージカルや演劇も上演され、女優の卵のミン・ジャヨン(ハン・ヒョジュ)は、男性たちの憧れの的。
だが、なぜか一番ダサそうなグンテが彼女の心をとらえ、故郷の漁村にまで遊びに来たジャヨンに「君のためなら何でもできる」とグンテは告白するのだった。
チャンシク、ヒョンジュ、グンテの3人はラジオ出演も決まり、いよいよデビューへ。
しかし、なぜか放送当日、グンテがスタジオに現れない。
あせったジャンヒとキム社長は、あわてて急ごしらえの「ツインフォリオ」というデュオグループとして歌わせる。
グンテに何があったのか?
ジャヨンとは相思相愛とばかり思っていたグンテだが、可憐な彼女に想いを寄せる男たちはほかにもいて、大学の先輩で新進の映画監督が、一方的にジャヨンにプロポーズしてしまった。
ショックを受けるグンテ。
軍隊に入隊したグンテは、芸能界の大麻汚染を捜査中の刑事に呼ばれ、大麻をやっている歌手や俳優の名前を言うように迫られる。
「ツインフォリオ」は絶大な人気を博したものの、「大麻吸引」の疑惑をかけられてイ・ジャンヒとともに逮捕。そして解散。
ジャンヒはのちに渡米、ロスアンジェルスで韓国人向けラジオ局を経営する。
長らく、グンテとも消息がなかったが、あれから20年後、運命のようにアメリカでジャンヒ(チャン・ヒョンソン)は、ビジネスマンとして出張に来たグンテ(キム・ユンソク・・・坂上忍そっくり)と再会。当時の「大麻疑惑」の取り調べでチャンシク、ヒョンジュ、ジャンヒの名前を出したのは本当なのか問いただす。
空港でグンテを待っていたのは、かつて愛したジャヨン(キム・ヒエ)の姿だった。
そして、ジャヨンは刑事の尋問に答えたグンテの、真意を知ることになる。それは「君のためなら何でもできる」と言ったあの日の言葉そのものだったー。
「セシボン」で歌う若者たちの風景は、海援隊やチューリップ、井上陽水を生んだ福岡のフォーク喫茶「照和」を思い出さずにいられない。
そして、劇中で歌われる曲も、「あの頃」を覚えている者には、じんわりとなつかしい思いにとらわれる。高度成長まっただなかの日本、軍事政権下の韓国と違えど、劇中に流れる当時の韓国のヒットソングは、初めて聴いても日本のフォークソングのようだ。また、アメリカンポップスなどの韓国語カバーもよく歌われていたようだ。
「ツインフォリオ」は実在の人気フォークデュオだが、「第三の男」のエピソードはフィクションだそうだ。若き日の恋模様をからめ、虚実取り混ぜながら、過去と中年になってからの物語とうまくつないで、ほろにがい青春物語になっている。何より、劇中で歌われる歌の数々が心に残る。
さて、この日の上映後、「セシボン」の字幕翻訳をされた林原圭吾さんが舞台に登場して、ミニトークをおこなった。
「セシボン」が描かれた時代は、外国でもフォークソングがブームで、そういった世界の趨勢とリンクしていたこと、ただ、林原さん自身は、当時の軍事政権の弾圧など政治的な要素も映画の中に入れてほしかったこと、などを話された。
この日、観客は20人足らず。なのに一生懸命、映画の背景などを説明してくださり、とてもマジメで誠実な人柄が伝わってくるようだった。
質問コーナーもあり、この映画を最初に教えてくださったマイミクさんが質問したい、と言っていた件をわたしも質問。
『ツインフォリオのお勧めのアルバムは?』
林原さんが壇上でちょうど持参して皆に見せてくれたのが、「ツインフォリオ」の外国のポップスのカバーアルバム。
おススメは、解散したあと、ソロになったソン・チャンシクの「鯨とり」(1975年発売)、「煙草屋の娘」(1986年)だそうです。ソン・チャンシクはその後、日本で言う「文化勲章」まで受賞したとのこと。
『“君のためならなんでもできる”、というセリフ、オリジナルの韓国語だと“君のためならできないことはない”って言ってますよね。韓国語ではこういう言い回しが多いのですか?』
林原さん:これは韓国語の言い回し、というよりも字幕屋としてのならわし、というか、どうしても画面では字数制限がありますからね。「できないことはない」みたいな否定+否定だと字数が多くなるので肯定表現で翻訳しています。
まだまだお話を聞きたかったが、トークと質問は20分ほどで終了。
林原さんのますますのご活躍を期待したいです。
(7月12日、シネマート心斎橋)
ログインしてコメントを確認・投稿する