1972年、20歳の女子大生・直子は自分の居場所のなさにいらだっていた。
大学の授業にはほとんど顔を出さず、吉祥寺界隈の雀荘やジャズ喫茶で時間をつぶし、男友達と次々に身体の関係を結ぶものの満たされない。
あさま山荘事件のあと、学生運動は陰湿な内ゲバを繰り返し、直子の早大生の兄も、対立セクトからの暴力を受ける。
全共闘の男たちの女性差別に幻滅した直子は、ウーマンリブの集会に顔を出してみるが、とってつけたように口紅やミニスカートを糾弾されて、失望。
やがて、偶然知り合ったジャズドラマーの卵・深田に強く惹かれ、狂おしいほどの恋情におぼれていく。
新聞広告を見て、速攻で本屋へ遠征して購入(最寄り駅前の本屋はつぶれちゃったので、本屋が遠くなってしまったよ)、半日で読了。
新聞広告に使われてる、煙草をくわえていきがっているおねえちゃんの写真、なにも注釈がないけど実は、若き日の桐野氏その人なのです。以前、彼女を特集したムック本に20歳頃の写真が掲載されていて、それと同じもの。カメラマンのクレジットがあるのは、その当時写真専門学校の学生だった友達の彼氏が卒業制作の一環で撮影、その彼氏はのちにプロの広告カメラマンになった、ということです。
さて、これは桐野氏の自伝小説? と思われるような内容。
時代背景も、ヒロインの在籍している大学がイニシャルでS大となっているところも桐野氏のプロフィールに重なるし(桐野氏は成蹊大学卒)、実際、インタビューでウーマンリブの集会に行って、口紅やミニスカートを批判されたことがある、と語ってましたからね。
もっとも、男性関係だとか、兄が過激派セクトに入っていたとか、ドラマーと同棲したとかは創作ではないかと思うが、「あの頃」を生々しく21世紀によみがえらせることには成功している。
現代も「景気低迷の未来の見えない閉塞感」とか言われるが、直子に小説の中で、
「ああ、嫌だ。歯噛みするほど、セクトが嫌いだ。学生たちに殺し合いをさせる国家権力が嫌いだ。この国が嫌いだ」とつぶやかせ、どうしようもない愚かな青春の彷徨を描き出す。
多くの読者は、親の金で大学に行かせてもらって、言うことだけは一人前で、何をやりたいかも見つけられず、甘ったれで自意識過剰ないけすかない女、と思うだろう。
だが、多かれ少なかれ、似たようなことを若いころに皆やっている。
わたしは大麻を吸ったり、男をとっかえひっかえしたりはしなかったけどさ(笑)。
若さの持つ危険なまでの思い込みと、もろすぎる心は今どきのことばで言えば「イタい」のだろう。
桐野氏は現在、月刊文藝春秋誌上でも、「連合赤軍の40年後」を描いている。
1970年前後の「政治の季節」は、渦中にあった人々、特に青春時代を送った人々にとっては「総括」が終わっていないのかもしれないが。
ただ、つい、「抱く女」のような小説を書くというのも、桐野さん、ちょっと年をとったのかな? と失礼ながら思ってしまった。
言ってみればこれは桐野版「ノルウェイの森」なのだ。
読みながら、セクトの内ゲバの描写で、自分こそが正しいと言いたてて、反対意見を「敵」として叩きのめす、ってまるで昨今のISと変わらないじゃないか、と思う。
直子は大学は中退する、と父親に告げるのだが、もし続編があるとすれば、やはりなんとか大学を卒業して、社会でもっとロコツな男女差別に直面する、というのを書いてもらえないだろうか。
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