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2014年11月23日08:31

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指針

「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」(詩篇 119:105)何か問題にぶつかるとどうしてこんな目に会うんだと不運を訴え、誰のせいか考え出し自分に原因があるとは思わない。それが人間の性なのだろう。事は創世記から始まっている。アダムがリンゴを食べた時、神は禁じた物をなぜ食べたのかと問いただした。アダムは妻が薦めたからと言い、エバは蛇が食べろと唆したと答えた。カインは自分の捧げものを神が受け入れないのは弟のせいだと思いアベルを殺した。誰も自分が悪かったとは認めないで人のせいにした。今のこの状況は世界が、国が、友人が、家族が悪いと言い続けて何もしないと自分が惨めになる。決して悪いものを悪いと批判する気持ちがいけないわけではないが元凶を外側に探し続けても叫んでも何も変わらない。むしろ悪化するだろう。なぜなら相手が社会であれ、人であれ叫ぶだけでは変わらない。自分が変わり、自分が行動するのはその気になればすぐにでもできるはず。それが問題を解決する一番早い方法だ。果たして自分の願う所は正しいのか。それを見きわめる指針となるのが冒頭の御言葉だ。自分の気持ちはこれが正しいと言いくるめる事ができる。しかし聖書のことばはいつも真実だ。正しさは神に属する。問題にぶつかった時は聖書に解決を求めるのが一番良い。御言葉は行くべき道を照らしてくれる。それで閃く人がいる。ここで間違ってはいけないのは閃きを頼りに突っ走っては駄目だと言う事。「ともしび」は太陽ではない。足元は見えても100メートル先は見えないかもしれない。もう大丈夫と喜び勇んでいたら穴に落ちかねない。勝手に進んでしまったら迷ってしまう。だから一歩一歩忍耐の積み重ねが必要なのだ。立ち止まってはこれで正しいかどうか御言葉に問う。歩みは遅くても着実に神の光に照らされた道を歩んでゴールしよう。




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