第1楽章、追悼曲にはどうかと思うほどの開放感を感じる。ありし日のクーセヴィツキ夫人との楽しい語らいを回想しているのだろう。音楽に夫人の人柄の良さが窺える。決してでしゃばらず、口数少なく、それでいて自然と人を引き寄せる魅力がそぶりに表れるような人だったようだ。音楽がくどくなく、さっと終わるのも好印象を高める。
第2楽章、未だにそこにいるかのような彼女の精気が満ちていながら、その主体はもういないと納得させる時が来たようだ。ギャップが大きく、悲しみを悲しみとして実感できない戸惑い。管楽器の動きはレスピーギの語法を感じさせる。演奏上、葬儀の悲しみを引きずるようにゆっくりとの速度表示がされているが、音楽はまだ現実を受け止められていないような茫然自失とした気配の中に消えて行く。
第3楽章、打楽器の連打の上に低重音の金管が咆哮する。舞台は戦艦の甲板上、戦死した仲間に献花を海に託す海兵隊員たちの姿を連想した。愛する人との別れを惜しむと言うよりは、そんな船上の儀式の格式の中に隠された悲しみやいつ海の藻屑と消えるかもしれない我が身の不安を振り払う闘志を感じさせる壮絶な印象が強い。
第4楽章、終楽章に至って、特に導入部では大切な人を喪った痛みが実感できたような雰囲気が強くなる。涙色は和らぎ、回想部に入ると夫人の優しく上品な人柄が讃えられているような曲想と悲しみの表情が交差する。音楽は祈りへと変じていく。第1楽章の片鱗が回帰されて、深い瞑想の中に音楽は消える。
クーセヴィツキ夫人、ナタリーに捧げられた曲はたくさんある。ロシアの大富豪の娘と言う以外の経歴は分からないが、結婚後クーセヴィツキ財団を設立し、表には出ないで、多くの音楽家を支援した事で知られている。クーセヴィツキ自身も彼女の恩恵により、音楽家としての活動に集中できたたようだ。《Gian Francesco Malipiero(1882.3.18 – 1973.8.1):Sinfonia n.4 "In memoriam"》
第1楽章−第2楽章
第3楽章−第4楽章
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