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2016年02月23日21:01

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ヘンデル:サラバンド

「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」キリストは100%神で100%人間なので人間と同じ弱さも持ち合わせていた。悲しくて泣くことも嬉しくて笑うことも苦しくてもがくこともあった。杯の中身は何かといえば十字架に架かり人類を救済する使命だ。キリストも好きこのんで十字架に架かったわけではない。人が自分の努力で救われる道があるなら、何も私を犠牲にしなくてもいいでしょうという祈りだ。神の答えは罪なき者が身代わりにならなければ人類の救いは達成しないということだった。キリストの覚悟と決断に天から御使いが現れてイエスを力づけた。これは霊の戦いだ。悪魔は何とか阻もうと必死になっている。キリストと言えども悪魔に対抗するには全力を振り絞らなければならなかった。そして場面は苦難の道に繋がる。ローマ総督ピラトの官邸から処刑場のゴルゴタの丘まで想像を絶する痛みに苦しみながら十字架を背負って歩んだキリストの体は鞭打たれ、ぼろぼろになっていた。ヘンデルのサラバンドと言えば普通はクラヴサンのための組曲第2番第4曲を指す。サラバンドは舞曲の形式だが元々華やかな音楽ではないにしても、この曲はあまりにも痛々しい。立ち上がれないほど重い。行く道を阻む壁を予感している。聴けばこの曲を知っている人が少なくないだろう。管弦楽版が映画に使われたからかもしれない。でも僕ならこの曲をキリストの苦難の道のBGMに使う。キリストはゲッセマネの祈りですでに勝利を得た。だから十字架の贖いを最期まで全うできた。「父よ。わが霊を御手にゆだねます」、この時点で杯は飲み干された。時は午後3時。神殿で罪の贖いのために過ぎ越しの羊が屠られる時間だった。驚くべき神の計画はここで罪なき者の永遠の贖いを受け入れ、羊の生贄を廃したことにある。微小に変化する主題の繰り返しに多くのことを考えさせられた。管弦楽版も好きだが、原曲はクラヴサン独奏用だ。楽器の特性上単純な曲はぶつぶつに切れてしまう。そのために過剰なくらいに装飾音符をつけて演奏されるが、ここは朴訥にぽつんぽつんと弾かれる演奏を聴いてみたいものだ。《Georg Friedrich Händel(1685.2.23 – 1759.4.14):Sarabande, Harpsichord suite in d minor vol.2 no. 4, HWV 437》




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