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2017年09月12日13:39

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おろしや国酔夢譚

今回の旅行に際して、20冊ほどのロシア関連の本を読んだのですが
その中で何といっても面白かったのは「おろしや国酔夢譚」(井上靖)でした。
簡単にご紹介したいと思います。

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天明2年(1782年)、伊勢から江戸に向かった光太夫ら17人を乗せた船「神昌丸」は、
台風に襲われ、8カ月の漂流の後、ロシア帝国領アムチトカ島に漂着。
厳寒の地のそこでは現地人がロシア人に支配され、苦しい生活を送っていた。
漂流中に1人、この島に4年間滞在するうちに、7人の仲間が死亡。
飢えと寒さに苦しめられながら、光太夫はロシア語を習得し、帰国の途を模索。
この地図の、一番右の島に漂着した光太夫たちは、日本に帰ることを夢見て
10年かけて一番左のサンクトペテルブルクまで行くのです。

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(エカテリーナ宮殿)

「俺たちはどんな苦労をしても、帰らなければならぬ」
リーダーの光太夫は仲間を叱咤激励し、異国の文化と言語を習得し、
その土地の要人と親交を深め、何度も何度も官庁に帰国願を届け出る。
「いいか、みんな、自分のものは、自分で守れ。自分の鼻も、自分の耳も、自分の手も、
自分の足も、みんな自分で守れ。自分の生命も、自分で守るんだ」
これは飢えや凍傷で、命や体の一部を次々に失っていく仲間に言った言葉。
カムチャッカ半島で更に3人が亡くなり、1人は凍傷で片足を切断。

驚いたのは、こんな時代にもロシア帝国は東の果てまで支配し、圧政を敷いていたこと。
こんな時代にも、膨大な数の人たちがシベリア送りになっていたこと。
鉄道も何もない時代、橇や馬や徒歩でシベリアを横断することが
どんなに過酷であったことか。
それでも遂に光太夫は、ロシア帝国の首都に辿り着き、
時の女帝エカテリーナ2世との謁見が叶うのです。

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(光太夫が謁見した鏡の間)

江戸時代の伊勢の船頭だった光太夫がここまで来たのかと
絢爛豪華なエカテリーナ宮殿で、感慨深いものがありました。
光太夫は「白灰色のラシャで仕立てられた礼服を着て、つばの広い毛織の帽子を抱え」
大階段を登り、幾つもの大理石の間、琥珀の間を通り、豪壮な大広間で女帝に謁見。
帰国嘆願書を差し出し、女帝に訊かれるままに、自分で漂流以降の来し方を
説明したのだそうです。
女帝は「可哀想なこと」そうつぶやき、彼らの帰国船を用意すると約束。
しかしその時に残っていたのは5人、そのうち2人はロシアに帰化していたので
帰国の途につけたのは3人。
又シベリアを横断し、オホーツクから帰国船に乗るのですが
北海道根室の地でもう1人が死亡。
江戸まで帰って来られたのは、17人中、実に2人。
ところが…

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(女帝の服)

2人を待ち受けていたのは、もっと残酷な現実だった。
いやもう、下手なスリラーよりも怖い結末です。
ネタバレになるので詳細は書きませんが
帰国だけを夢見て頑張った光太夫、無念であっただろうなあ…

おろしや国酔夢譚 http://tinyurl.com/yb2gd8ef
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