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2016年03月13日08:15

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できなくても大丈夫な秘訣

「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」(箴言3:6)ここに楽に生きる秘訣が書いてある。「主を認めよ」とは神を主権者であり自分は神に隷属していると知ることだ。つまり奴隷で、買い取られた者は主人の意のままに従うしかなく自由はない。買われた牛は命さえ取られ、食材に変わる。逃げても、懇願しても、主人の意に逆らうすべはない。人の命はキリストの贖いにより神に買われた。それを知らなくても、それを拒んでも事実は変わらない。クリスチャンとはそれを事実として受け入れた者のことだ。しかしキリストが人を贖ったのは神の名によって冷酷な主人になるためではなく人を自由にするためだ。そもそも神とは万物の創造主だから強制的に人を動かして益を得るということはない。山を地球の裏側に移し、砂漠を海に変えることのできる神にとって人の手を借りるのはかえって面倒ばかりだろう。それでも、神は人との共同作業を好まれる。ここで学ぶことは仲間はずれにするなと言うことだろう。たとえ何のたしにならなくても、本人に参加の意思があるなら共同作業をするべきだ。和を完結させることはとても大事だ。神が最初にあなたに手を差し伸べたのだから、それに見習えれば幸いだ。主を認めると言うことは自分の心の奥底に眠っている秘密を納めた金庫の鍵も神に管理して貰うということにもなる。人には羞恥心も自尊心もあるから簡単なことではない。聖書の登場人物はみんなこの事で壁にぶつかっている。自分の力ではない、神がこじ開けるのでもなく、神の光が暗黒に差すと少しずつ変化が起こる。それを祈り待ち望もう。人生に秘密もあるし分からない事もある。たとえノーベル賞級の頭があっても、分からない事は分からないけれど、すべては神の計画の中にあると確信すると楽になれる。どんなことも神の御心と許しがない所では何も起こらない。表面的には自分に不都合であっても、そこを乗り越えた時に知る恵みと比べれば逆境も益なのだ。自分では変えられない過去の問題を主に委ね、どうなるか分からない未来は主に期待し、今主に生かされている恵みに満足しよう。そうすれば感謝できないことは何ひとつないはずだ。感謝の心は当てもなくさまよっていた迷路からの脱出口を見つける力を与え、キリストに従うまっすぐな道に導いてくれるだろう。




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