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2014年12月28日08:59

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父と子の関係

「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。」(イザヤ 49:15)ある人の父親が認知症になり仕事をしながら最善を尽くして熱心に介護に励んでいる。いくら思いを込めて世話しても「どちらさまですか?」とたびたび聞かれたら介護のしがいがない、まるっきり報われない気持ちになるかもしれない。その人はこう話していた。私が赤ちゃんの時両親が私の面倒を見てくれたはずです。突然泣いたりわめいたり、ちっとも言うことを聞かないないし、周りにいる人が誰なのか分からなかったでしょう。それでも両親は報われないとは思っていなかったはずです。家族というものは片方が何も分からなくてももう一方がこの人は私の父、この人は私の子と認識していれば成り立ちますし、情愛も持てるものです。なんと立派な考えを持っているのだろうと感心した。これなら挫けることもないだろうし、報われないから辛いと思うことも本当に軽減されているのだろう。冒頭の御言葉の「あなた」は特定の人ではない。すべての人を指して神がそう言っている。別の聖書箇所で「あなたは私の子」と神が言っている。人はみんな神の子なのだ。神なんかいない、信じないと言っている人も、僕は仏教徒だと言っている人も、神は私の子と呼んでいる。なぜなら天地を創造したのは神だから。たとえ認めなくても一方が知っていれば親子関係は成り立つ。そして神が認知症になることも一瞬たりともうっかり失念することもない。だから現実に認知症や障害があって神を認識できない人も神が一方的に私の子と呼んでいるのだから、救いにもれる事はない。健常者なら、いつか神に向かって「お父さん」と呼んで向き合えるといいと思う。きっと今以上の恵みを感じることができるようになるだろう。母親が幼児を忘れるはずがないとは思うのだが、昨今おしゃべりや買い物に気を取られて幼児が視野からはずれて起こる事故がないとはいえないのが残念だ。




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