本日は、常連のフルート、マリンバのお二人に加えて、初参加のフルートの男性が。
甲野先生の講座から、此処を知り、いらしたとのこと。
初めての方にうかがうのは、「何故ここに?」ということです。
答えは皆、様々ですが、共通しているのは、ご自身のやっていることに、何かしらの違和感を持っているから、ということです。
最近は初めての方を迎える、この講座のセレモニーのようになっていますが、例の椅子ごと傾けるやり方を、全員からやっていただき、体験していただく。
とても驚いていらっしゃいましたが、お教えすれば、すぐに出来る様になりました。
過去12年分の変化を数分でまとめることは不可能ですが、最初の頃の大きな変化、そして最新の変化を解説し、演奏しました。
マリンバのOさんには、短い杖を構えていただき、一緒にフルートでの身体感覚の変化を味わっていただきました。吹けなくとも、構え方だけで、呼吸が変化するのも感じ取れます。
そして、先日の気付き「右腕の生き死に」
これに気が付いた時、まっさきに思いだしたのが、マリンバOさんのことでした。
「左利きだから」と仰って、ずっと右手に違和感を持っていらしたOさん。
最近のバッハタッチ方式前脚で、随分と変化はされたものの、左手のように、とはまだ行かないご様子。
私も「左利きだから」という言葉を鵜呑みにして、そういうものなのかなあ、とずっと今までは、Oさんの個人的な問題か、と思っていました。
しかし、今回の気付きで思ったのは、それは決してOさんだけに特化した問題ではなく、共通している「みんなの問題」だった、ということです。
左利きであったからこそ、より気になった、ということも理由のひとつとしてあるかもしれないけれど、それは、つまりは、気にならなかった私、私達が、Oさんの右手ほど、敏感な右手ではなかっただけの話だった、ということです。
だって右利きなんだもん。
いやはや、この右手における肘、手首、親指の状態で、大違いの音に。
マリンバのマレットを持つ右半身のこわばりが、そのポーズを経過しただけで、ス〜〜っと退散していくさまは、目に見える程。もちろん、音も違う。
そしてフルート。
気が付いたのは、昨晩なので、まだ試してはいなかったのですが、『バッハタッチカヤック』以来の「なんじゃこりゃ!?」的展開となりました。
結構、ブロックしてたのね・・
これで、またまたモデルチェンジです。
フルートの常連Aさんも、初参加のYさんも、みな変化しめでたしめでたし。
最後にピアノも演奏されるOさんからの質問。
オクターブの連続が続く曲の時の指の工夫を見てほしい、とのこと。
なんとバッハタッチを取り入れての滞りを回収しよみがえらせながらの、オクターブ。
普通にピアノ教室に行ったら、きっとあきれられてやめさせられてしまうかも・・
オクターブの連続というのは、あっという間に指を硬くしてしまうから、とエマニエル・バッハは、「そんな時は、全部ちゃんと弾かなくてもよい」とまで長々とその弊害について述べているくらいの、手指に負担をかけるものです。
しかし、現代のピアニストはこれしきのことは涼しい顔でやってのけます。
それも、あの重たい鍵盤で。
体力がついているからではなく、手指のこわばりへの感受性が鈍くなっているから、だと思う。
18世紀の鍵盤楽器奏者も、もちろん、それしきのことはやってのけられたと思います。
でも、それは彼らにとっては「響き」を失うことでもあった。
なので、忌み嫌ったのだと思う。
現代のピアノは響きをある程度、楽器が補ってくれるので、奏者の「こわばり」を犠牲にして、そうした演奏を求める楽曲もどんどん出来てしまったのだなあ、と。
でも、それでも、こうやって工夫すれば、かなり清んだ音のままでのオクターブ連打も可能になる訳です。素晴らしい!
手を広げる時に、若干、親指のでしゃばりがあったので、それを薬指を使うこと、そしてひょうけんにしてから構えることで修正していただくと、さらにクリアな響きとなりました。
あと、スタッカートへの提言も。
これも、黒鍵がそんなに混ざらなければ、白鍵の端っこから指を滑らせて掌側に回収する、という技が使えます。
テコの原理で、端っこに触れる方が指の力感は減る。まさに、「突きは3分の引き7分」のスタッカートに。
打ち上げ?ではジーグのリズムの相談をOさんに。
先日の本番での一番の反省は、やはりこの付点のリズム。
もっと早くに相談すればよかった!という打楽器奏者ならではのよいご助言をいただきました。
明日はじっくりこの右腕とリズムで練習したいと思います。
ご参加くださったみなさま、ありがとうございました!
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それにしても、右腕と左腕、というのは、全く違う性質を持っているのではないか?と思えるほど、違うのだなあ、と感じ入っています。
同じ腕の格好をしていて、瓜二つですし、解剖学的にはきっと一緒のはず。
でも、表現は難しいのですが、その奥の奥の何かしらの流れ方は、全く違うものです。
いっそ、もっと異なった形状をしててくれれば、わかりやすいのになあ、とも思う。
ああ、紛らわしい・・
そして思い出したのは「金剛蔵王権現像」。つまり杖の「下段抜き」。
やってみれば、すぐわかる。
ほら、ちゃんとそうなっているじゃないですか!
まだまだ見た目の類似に惑わされていたなあ、と反省です。
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