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2023年08月31日14:12

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映画『遺灰は語る』

8/29(火)、シネマイーラ浜松で『遺灰は語る』を観る。
フォト

名作を数多く制作してきたタヴィアーニ兄弟。その兄ヴィットリオが2018年に88歳で亡くなり、残された弟のパオロが2022年/91歳、初めて一人で作った映画である。
私は兄弟作品『塀の中のジュリアス・シーザー』を2013年4月に観ている。
以下参。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1899557362&owner_id=3341406

兄弟には、イタリア・シチリア島出身の劇作家・小説家・詩人ルイジ・ピランデッロ(1867-1936)の作品を原作にしたものが多数ある。
ピランデッロは1934年にノーベル文学賞を受賞し、36年に亡くなった。
本作の主人公である「遺灰」はこのピランデッロの遺灰だ。

大劇場の天井の豪華なシャンデリア付き天井画の大写し。

ピランデッロは遺書に、自分の死は人々に告げず静かに葬って欲しい、裸のまま白布にくるみ火葬して欲しい。何も残さず散骨して欲しい、無理なら故郷のシチリアに埋めて欲しいと記した。
当時のイタリアの独裁者、ファシスト党のムッソリーニは、国の威信のため彼の葬儀を盛大に執り行いたいと考えたが、遺書のためそうはいかなかった。怒ったムッソリーニは、遺灰を手放さず、ローマの墓地に埋葬した。

映画はモノクロで、静謐な進展。
冒頭、死のベッドにいるピランデッロを見舞う子供ら。
「私は死んだのか? 信じられない、あっという間だ。」
もはやピランデッロの声は子供達に聞こえない。
時の流れの早さを象徴するように、ベッド脇の子供達は一瞬にして成長して大きくなり、そして白髪混じりになる者、髪が薄くなる者、腰が曲る者。
ノーベル賞受賞式の記憶が、ドキュメンタリーフィルムで流される。
火葬後、遺灰は簡素な骨壺に入れられ、ローマの墓地の煉瓦の壁の中に埋め込まれる。

11年ののち、第2次大戦後の1947年、ピランデッロの遺灰はシチリアへ送られる事となり、煉瓦壁は壊され、遺灰は大きなギリシア壺に入れ換えられる。
シチリア島アグリジェント市の特使が引取りにローマにやってきた。
壺は大きな木の箱に収めて空港に送られるが、この移送はドタバタ喜劇のようになり、特使は大変な目に遭う。

占領軍(米軍)の輸送機に乗り込む特使と木箱。たまたま同乗する事になった見ず知らずの男女が、胡乱な目つきで木箱を見る。そして、死体(既に遺灰なのだが)と一緒は縁起が悪いと言って、三々五々皆飛行機から降りていく。
因習に縛られた人々。
輸送機のパイロットは、あなただけでは飛ばせないと、エンジンを切ってしまう。

特使と木箱は、やむを得ず貨物列車に乗り換える事になる。
列車には、外地帰りの元兵士とイタリア語の分からないドイツ女性のカップルやら、すぐさまカードゲームを始める3人組やら、壊れかけのアップライトピアノ(何故そんなものがここにあるのか分かりようもないが)を賑やかに弾きだす男や合わせてダンスをする男女やら、様々な人々が犇めく。
いくつか駅を越え、特使がちょっと場所を変えてうつらうつらしている間に、木箱が何処へ行ったのか見あたらなくなってしまう。
慌てて車輛中探しまわっても見つからず、特使は途方に暮れ、落胆する。

木箱とは再会を果たし、特使と木箱は、大変な旅の果てにようやくシチリアに到着する。

アグリジェントの大寺院に入ると、ここでもまたひと悶着起きる。
司教が(多神教のせいか?)古代のギリシア壺に十字を切る事はできないと言いだした。
古株の助祭が壺を棺に入れればいいと知恵を働かせる。
司教が良いアイデアだと、棺を用意させようとするのだが、今度は棺がない。インフルエンザの大流行が続いて、大人用の棺はなくなってしまったと言うのだ。
あるのは子供用の小さなサイズの棺1つのみ。
やむを得ず、それにギリシア壺を入れ、若者達が連台の前後を担ぎ、おごそかに街中を歩く。
ベランダからその様子を見た女の子は、きっと小人のお葬式だわと言ってくすくす笑いだす。笑いは周囲に伝播する。

ようやく棺は墓石彫刻家の手に渡る。
ノーベル賞受賞者の墓に相応しい環境と自然石を彫刻家は探しまわる。
こうして、忽ち15年の月日が経った。

3人の埋葬係員はギリシャ壺に入っている遺灰を、墓用の器に入れ直す。
溢れた遺灰が机の上にこぼれる。
2人は器を持って墓へと向かう。残った1人は、机の上にこぼれた遺灰を手ですくって新聞紙の上に乗せ、折り畳んでポケットに入れ歩きだす。
2人は自然石の墓に穿った穴に容器を収め、蓋をする。
もう1人は、ポケットに折り畳んだ新聞を入れたまま何処へ向かってか歩いていく。

野原の中を通る道が下り坂になると、その向うにシチリアの海が見えてくる。
モノクロだった映像の海の部分が青くなり、次第に全景がカラーになる。
シチリアの海の深い青さには驚くばかり。
男はポケットから新聞を取りだし、遺灰を掴んで海の方に向って撒く。風が遺灰を吹き飛ばす。何度も撒いては、遺灰は忽ち飛び散って消え去る。

『釘』というタイトルがスクリーンに現れ、エピローグと言うのか、30分弱の全く別の物語が始まる。引き続きカラー。
ピランデッロ晩年の短篇集『一年分の物語』の中の一編で、死の20日前に書きあげられた作品だのと事。

同じ時代、ニューヨークのブルックリン。
シチリアからの移民家族の子バスティアネッドは、父親の経営するレストランでボーイとして働いている。時にバンドのデキシーランドジャズに合わせ、小さなステージでダンスを披露したりもする。
楽しそうに見えるが、内心はそうでもないらしい。仕事が終わり、皆で夕食をとるテーブルで、少年は食欲もなく伏してしまう。
父親に言われて外に出、周囲をブラブラしていると、馬に引かれた荷車が脇を通る。バスティァネッドは轍の間に落ちている20cm程の1本の太い釘を見つけ、特別のもののように手に取った。

広場に2人の女の子が現れ、喚き声をあげ激しい喧嘩を始める。
原因は分からないが、喧嘩は激しさを増して止む気配がない。
バスティァネッドは2人に近づき、赤毛の女の子の頭に、持っていた釘を振り下ろす。女の子は地面に倒れ、もう1人の子は逃げていく。

警察署の取調室のテーブルに伏すバスティアネッド。
赤毛の女の子(ベティ)は死んだらしい。
警察官は何故やったのかと問うが、” on purpose “と答えるのみ。字幕は「定めで」と訳していた。
首を捻る警察官。
安置室の死体の前でバスティアネッドは言う、
「一生、君を忘れない」。

これは私の勝手な想いで、映画上にそれらしき説明もなかったが、あの大きな釘は、イエスの手足を十字架に打ち付けたそれの象徴ではなかったろうか。

バスティアネッドはイタリアを離れた時の事を思いだす。
母は、息子が夫と一緒に移民船に乗る事に大反対だった。泣き、喚き、バスティアネッドを夫の手から取り戻そうとするが、結局は言うなりになるしかなかった。
母や、イタリアに残る人達は、竹やぶの先にハンカチを結びつけ、別れの印にした。
それきり母とは会っていない。

バスティアネッドは刑に服し、大人になって、殺してしまった女の子の墓に詣でた。地面にベティと指で書き、そして、毎年来るからねと、呟く。
映画はあっという間の時の流れを、表現する。
詣でるバスティアネッドの髪に白いものが混じり、真っ白になり、腰が曲がり、杖をつく。
ここは、最初のピランデッロの死の場と対称になっている。
母親との別れの日のように、背後の木の枝先には白いハンカチが結ばれている。
時と伴に木は成長して大きくなり、葉は緑から紅葉し枯れ落ち、また緑になる。ある時は雪を被る。

もう一度冒頭と同じ大劇場の天井の大写し。
客席の拍手が聞こえる。
ゆっくりとシャンデリアの灯りが消えていく。
そして、ピランデッロの言葉、
「時は流れ、人生のシナリオと伴に私達を連れ去る、私は台本を丸め、小脇にに抱えてしまったが…」。
現実の人生もまた、溜め息をつく間程のフィクション(寸劇)に過ぎない。


監督・脚本 パオロ・タヴィアーニ
撮影 パオロ・カルネーラ,シモーネ・ザンパーニ
美術 エミリータ・フリガート
音楽 二コラ・ピオヴァーニ

出演 ファブツィオ・フェッラカーネ,マッテオ・ピッティルーティ,ダニア・マリーノ 他

受賞 ベルリン映画祭国際映画批評家連盟賞 他多数

2022年/イタリア

原題 『 Leonora Addio(さらばレオノーラ) 』
このタイトルはピランデッロの短編小説から来ている。
元の脚本にはあったのだが、このレオノーラの場面は最終の編集でカットされたそうだ。
小説の女主人公は、嫉妬深い夫によって家に閉じ込められ、2人の娘の前で、昔観たオペラ《イル・トロヴァトーレ》(ヴェルディ)のアリア〈さらばレオノーラ〉を歌い、突然心臓発作で死ぬ。
 
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