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2017年12月06日23:55

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映画「硫黄島からの手紙」

2006年、クリント・イーストウッド監督作品。
封切り時にも当時住んでいた福岡市の映画館で見たのだが、BSジャパンで今夜放映していたので11年ぶりに再び見る。

1944年、本土防衛の最後の砦とされた硫黄島に降り立つ、陸軍の栗林中将(渡辺謙)。
彼はアメリカで生活したこともあり、英語も堪能、リベラルな面もあって、部下に対する理不尽な体罰をやめさせたりした。そんな栗林に、兵士たちは驚かされる。

西郷一等兵(二宮和也)は、パン職人で、身重の妻(裕木奈江)を残して召集され硫黄島にいた。
戦況は悪化、援軍は来ず、水も食料も乏しくなる中、ついに米軍が硫黄島に上陸。
米軍の圧倒的な戦力の前に日本軍は苦戦、摺鉢山で西郷の部隊長は栗林の「生き抜いてなんとか持ちこたえろ」という命令を無視して、自決を命じる。

次々に手榴弾やピストルで仲間が自決していくのを見ながら、西郷はどうしても手榴弾のピンが抜けない。
とうとう清水上等兵(加瀬亮)とともにその場から敗走。
洞窟の中をさまよいつつ、栗林のいる司令部までたどり着く。
それをとがめた伊藤大尉(中村獅童)に殺されそうになった時、止めたのも栗林だった。

憲兵隊にいた清水は、上官の命令に反したことで憲兵の任を解かれ、激戦地の硫黄島に送られたのだった。
その身の上話を聞く西郷。

ふたりはついに「米軍に投降しよう」と相談し合う。
しかし、先に投降した清水は、気まぐれな米兵に射殺されてしまうのだ。
白い布を持ったまま斃れた清水の遺体を見つけた部隊長は、
「投降したなれの果てがこの姿だ!覚えておけ!」と叫ぶ。西郷は清水の無念の死に涙する。

激しくなる戦闘の果て負傷した、1932年のロサンジェルス五輪のメダリスト・西竹一中佐(伊原剛志)もついに自決を選ぶ。
栗林中佐も銃撃され、虫の息の中から、「ここはまだ日本か・・?」と西郷にたずねる。「日本であります」と答える西郷に、栗林は自分の遺体を埋めてくれ、と彼に頼み、ピストルで自決したのだった。

ようやく栗林を埋葬した西郷のもとに米兵たちが。シャベルでむなしく応戦していた西郷は米軍の捕虜となった。

2006年、硫黄島へ遺骨収集に来た慰霊団は、地中に埋められた大量の手紙を見つける。それは硫黄島で戦った日本軍の兵士たちが、日本の家族に宛てて書いた、届くことのなかった、手紙だった。


戦争のむなしさ、やりきれなさ・・・戦争には敗者も勝者もないのではないか、そう思えてしまう。
実際に硫黄島でロケしたのか? と思わせる荒涼とした風景だが、1日だけ硫黄島で映画のごく一部のシーンだけ撮影され、大半はカリフォルニア州バーストゥ近郊の噴石丘と溶岩層で出来た地帯であるピスガ・クレーター周辺で行われたのだそうだ。

カメラワークといい、兵士たちの心情の描き方といい、イーストウッド監督の非凡さがよくあらわれている作品だ。
本心ではおそらくは日米で戦火を交えることをよしとしなかったであろう、栗林中将という人物をすえることで、悲劇性がきわだち、ファナティックに軍人精神をゴリ押しして部下たちを死なせる者、西郷のように、平時はよき市民だったのに戦争に駆り出され、絶対に死にたくない!とおびえる者など、さまざまなタイプの兵士たちの登場で、物語性を深めている。

明らかに国際法違反である、投降した日本兵を米兵があっさり殺してしまうシーンなど、アメリカ人であるイーストウッド監督がよく入れたなあ、と思う。

西竹一の最期は、「都市伝説」のように語られていて、わたしは以前、米軍が「あなたのような優秀な馬術選手を失いたくない。出てきなさい」と投降を呼びかけたのに応じず、戦闘で死んだ、と聞いていた。
映画では、銃で自決するシーンになっていたが、詳細な彼の最期はわからないらしい。

映画で意外だったのは、二宮和也の演技がなかなかだったこと。
ガチガチの兵士でなく、憲兵に食糧や道具まで供出させられてパン屋を閉める事態に追い込まれたため、「軍人」への反感が根底にあり、「こんな戦争なんかやってられねえぜ」という気分をまとっているところを、うまく出していた。
ぱっと見はひ弱そうで、真っ先に戦死しそうなタイプだが、結局、主要な登場人物の中で、彼が最後まで生き残る。そういう設定は「プライベート・ライアン」を思い出させた。
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