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2017年05月21日09:15

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信じて立ち上がる時

「そのとき、いちじくの木は花を咲かせず、ぶどうの木は実をみのらせず、オリーブの木も実りがなく、畑は食物を出さない。羊は囲いから絶え、牛は牛舎にいなくなる。しかし、私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。」(ハバクク3:17-18)

ユダの地に大飢饉が起こりつつある時に読まれた歌だ。実際ユダの地は過酷な地で日照りが続き畑の収穫が絶望だったことは何度もあったようだ。人々は絶望し、投げやりになり、信仰さえも捨ててしまいかねない。

こんな状況の中、ハバククは喜び勇んだ。それは視点が現状を超えた向こうに輝く神の栄光に向けられていたからだ。人間的な気持で現実を見れば希望も喜びも湧き上がるはずはない。かつて膨大な人数のユダヤ人が捕らわれ収容所に送られた。この苦しさから抜け出すには死ぬしかないと判断して自ら死を速めた人も大勢いるようだ。生き残った人の証言によると、多くの人が暗闇の中で絶望に目を向けずに神を信頼し天に助けを求め、祈り続けた結果だとされる。

万事を益とされる方は人の目には不可能な状況から人を立ち直らせる力がある。回復の気配も感じられないけれど、自分には万策尽きた。生きるも死ぬも、神さま、あなた次第だから従います。これが信仰だ。信仰は決して無には終わらない。これを惨めな姿と考えるのは間違いだ。神と人とは比較の対象にもならない。負けても少しも恥ずかしくはない。むしろ自分の弱さを知り、神にすべてを委ね渡す人を神は救い出す。

今この窮地を抜け出せたら信じてみようというのは駄目なようだ。絶望の只中にあっても現状を見ずに神を見て喜ぶ。そこに救いがあると確信すれば、確信が現実になる。果報は寝て待てではない。祈り続けることは最も重要だ。祈らない信仰はもろい。何もしなくても状況が好転して来ることもあるけれど、大抵の場合どうすべきか知恵が与えられる。神は実行不可能な知恵を授け試してごらん、とは言わない。

できる事を知恵として授け、祈りの信頼によって実践すれば神はどんな苦難からも抜け出させてくださる。神はいつもこう答える。あなたの信仰があなたを救ったと。





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