mixiユーザー(id:313492)

2012年08月27日19:19

13 view

退院してから1年がたちました

退院してから1年がたちました

昨年8月28日の夜11時、僕は突然の眩暈に襲われ救急車を呼び入院しました。

原因は、突発的な回転性眩暈症(女子サッカーの澤選手と同じような状態)という事でした。
あれから1年が経ちました。

1年前に書いた日記(退院後に書いた日記)を読み返すと、その時の様子が克明に書かれていました。
その時の気持ちを忘れないようにと書いた日記であるという事も書かれていました。
http://ameblo.jp/soujisuruhito/day-20110830.html

その後の再発はなく、健康管理の為にと始めたヨガなどの成果もあり、今は1年前より、またここ数年の中で最も健康な体になっています。

もし、あの入院がなければ、今のような健康な体にはなっていなかったと思います。
もし、あの入院の後、ビクビクしているだけで前に進む気持ちになれていなかったら、今もまだビクビクしていたかも知れません。

今日の日記は今の健康な体に感謝すると共に、これからも今の気持ちを忘れないようにと思い書いています。

・・・・・・・・

以下が、1年前に書いた日記です。

一病息災/入院から退院までの記録

規則正しく、ストレスのない生活をして、心身共に健康であると思っていましたが

8月27日(土)の夜11時、大きな眩暈があり立ち上がれなくなり、救急車で病院に運ばれ入院する事になりました。

8月29(月)の14時には退院して、明日から日常の生活に戻る事になりますが、今回の体験を記録に残しておこうと思います。

・・・・・

8月26日(木)朝から体調が悪く夕方から体調が更に悪くなった為、予定していた夜のパトロールは同僚に任せて帰宅しました。

8月27日(金)は会社を休み一日中寝ていました。この時は単なる風邪で終わると思っていました。

8月28日(土)は出勤の日で、10時から18時まで仕事をしていましたが、終日体がふわふわしているような、耳が何かで軽く覆われているような気がしていました。
そして体調を考えて21時には就寝しました。

8月28日(土)23時、トイレに行きたくなり目が覚め、起き上がろうとすると眩暈がした為、しばらく起き上がらず再び横になりました。

時間が経過しても症状は良くならず、脳に異常がある最悪の事態を懸念して119番に電話するかどうか悩んだ結果、#7119番(救急相談センター)に電話をして相談する事にしました。

救急相談センターの人に事情を伝えている最中にますます眩暈が酷くなり、救急相談センター側で救急車を手配してくれる事になりました。

救急相談センターとの会話時間は10分程度、救急車が家に到着したのはその5分後位でした。

マンションのオートロックと玄関の鍵を開ける必要があったので、玄関まで這って鍵を開けに行き、鍵を開けて布団に戻ろうとした時、嘔吐しました。

救急車が到着してオートロックを解除する時に再び嘔吐しました。

救急隊が到着する寸前、鞄の中に財布、健康保険書、部屋の合鍵など入院に必要と思われるものを放り込み、救急隊に運びだされる時には、その鞄と携帯電話(スマートフォン)を一緒に運んでくれるようお願いしました。

キャリーベットに乗せられ救急車に乗り込む時に再び嘔吐しました。

救急車の中で搬送先を相談している声が聞こえたので、自宅・勤務先・駆け込み寺に近く、過去に通院歴もあり、何かあった時に一番便利な大久保病院への搬送を希望するも、大久保病院側での受け入れは(宿直医に専門医がいないという理由で)出来ないという事で、新宿区戸山にある国立国際医療研究センターに搬送されました。

救急車の中にいる時も眩暈はおさまらず、目をあけている事も殆ど出来ない状態でした。

救急救命室で、点滴、採血、瞳孔の確認、反射確認、CTスキャンなど検査と治療と処置をしてもらい、仰向けになっている時には眩暈が収まる状態まで回復はしましたが、体を少し起こすだけでふたたび眩暈がするという状態は続きました。

救急救命室の方からは、自力で帰る事が出来るようであれば自力で帰る事を薦められ、しばらく努力していましたが、体を起こすだけで眩暈が再発するという事で、救急病棟に入院する事になりました。

個室を薦められましたが、お金の事を考え大部屋を希望して大部屋に入院させて頂きました。

病院側からは、入院前に家族に連絡をしたいという事であった為、宿直医に大阪の実家、父親の名前と連絡先を伝え、宿直医から実家の父親に状況を伝えてもらいました。

病室に移動、その病棟は昨年新築されたばかりという事で、大部屋(4人部屋)でしたが、カーテンで仕切られただけではあるもののそれぞれに十分なスペースが確保されており、病室はとても清潔で、とても快適な空間のような気がしました。

病室のベットの上に横になったのは深夜の2時頃だったと思います。

病室のベットでも携帯電話を使用してもよいという事だったので、日曜日の朝に上京し僕の部屋に泊まりにくる予定であった甥と、日曜日に遊ぶ約束であった友達にメールをしてから眠りにつきました。翌朝、職場、消防団、駆け込み寺などにもメールで状況を伝えました。

28日の日曜日は、ずっとベッドの上で横になり、点滴をされながら過ごしました。

食事の後には、2種類の酔い止めの薬を飲んでいました。

朝9時頃、大阪から父親が駆けつけてくれたので、部屋の合鍵を渡し入院に必要な着替えと下着をマンションの部屋から病室まで運んでもらいました。

昼過ぎに友達が一人、お見舞いにきてくれました。

夜になり、初めて体を90度に起こす事が出来るようになりました。

8月29日(月)朝、はじめて一人で立ってトイレに行く事が出来ました。

専門医の検査と問診により、左耳の内耳部分になんらかの障害が起こった事が眩暈の原因で脳の障害である可能性は低いと思われると言われました。

内耳部分にはバランスをつかさどる機関があり、そこに異常があると眩暈の症状が起こる。その症状が続けて起こる場合はメニエール病という事になるが、はじめてという事であればそうは言えない、血液の流れが一時的に悪くなり眩暈が起こるという可能性もあるとの事でした。

病室に戻ると友達が一人お見舞いにきてくれていました。

担当医と相談の結果、症状は治まっている状態、僕が退院を希望している状態、入院費がかさむという理由で退院して様子をみる事になる。

退院後は、大久保病院の耳鼻咽喉科に通いながら、医師の判断でMRIという脳の精密検査も念のためしておく事を薦められ、大久保病院宛の紹介状を書いて頂きました。

8月29日(月)午後14時 退院、再び病院にやってきた父親と上京中の甥と共に病院を後にしました。

今回の入院でかかった費用は(緊急病棟への入院は一泊約33,000円、保険が無ければ約10万円するという事で)70,450円(保険がなければ234,240円)でした。

退院の後、入れ違いで友達が一人お見舞いに来てくれていました。

8月30日(月)今日まで仕事は休み明日から仕事に復帰する予定です。

・・・・・

眩暈がして立ち上がれなくなった時、これがもし脳の異常であれば、もう駄目かも知れないと思いました。その時は残された人には申し訳ないけど、自分の為だけに生きた人生でなく、人の為にも生きる事の出来た人生、自分の気持ちに正直に生きた人生だったので、死んでも悔いはないという気持ちになっていました。

眩暈で起き上がる事が出来なくなった時、もう二度と起き上がる事は出来ず、ずっと寝たままになるかも知れない、もしそうなればその事実を受け入れようという気持ちになっていました。

元気があまりなかったある日、自分には何も出来ないけど車椅子を押すことくらいは出来るそう思った事がありました。車椅子を押すような事はあまりありませんでしたが、健康な体を、健康でない体の人の為に使う事も出来ていたので、そういう事も元気な内にしていてよかったと思いました。

眩暈が収まり始めて起き上がり歩く事が出来るようになった時、ちゃんと立つことが出来ているというのは、なんてすごい事なのだろうと思いました。

今日は、3か月に1度の目の検査を受ける為、朝から大久保病院に行って来ました。
病院の帰りに、駆け込み寺に顔を出してきました。
駆け込み寺の玄さんからは「一病息災」やからなと言われました。

一病息災とは、持病が一つくらいある方が、無病の人よりも健康に注意し、かえって長生きであるということです。

今回の眩暈が僕の持病になるのか、一時的なものであったのかはわかりませんが、これからの生活は「一病息災」という新たな気持ちも持って過ごしていこうと思います。

2 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2012年08月>
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031