ただ、一生懸命に聞く事
今日は、毎月一回、日曜日に行っている駆け込み寺のお手伝いに行って来ました。
駆け込み寺のお手伝いをするようになって6年目になりますが、今までは電話(相談の電話)に出る事にはあまり積極的ではありませんでした。
それは、電話に出たとしても「なんて答えたらいいのかわからない」という気持ちがあったからです。
しかし、最近は、あまりためらう事なく電話を取る事が出来るようになってきました。
今日も2本、駆け込み寺に架かってきた相談の電話を取らせて頂く事が出来ました。
ためらいなく電話に出る事が出来るようになったきっかけは
昨年末、駆け込み寺の玄さんがある講演で言っていた話しと、先日駆け込み寺が出来た当時のボランティアさんから聞いたある話がきっかけでした。
玄さんが電話をとる今のボランティアさんに望む事、駆け込み寺が出来た当時(9年前)のボランティアさんが玄さんに言っていた事、それは今も昔も『ただ、一生懸命に電話を架けてきた人の話を聞いてあげて欲しい。それだけでええ』という事でした。
専門家ではないし、色々な知識を持っている訳でもないので、上手な話の聞き方、上手な相槌の仕方、上手な話の進め方、上手な回答の仕方は出来ませんが、『相手の言葉に一生懸命に耳を傾ける事』それであれば自分にも出来ると思いました。
専門家やカウンセラーのような知識がなく、ただ聞く事しか出来ないので、きっとどのような専門家やカウンセラーより、一生懸命、何の先入観も持たず、ある程度形が出来ているどこかの型にはめようと考える事無く、相手の言葉を聞く事が出来たのだと思います。
今日の相談電話についても、1時間近い時間はかかりましたが、相談してきてくれた人の話を一生懸命に聞き、それが最良の答えであったかどうかは解りませんが、自分がその話を聞いた上での自分なりの考えを、相手の方にお伝えする事が出来ました。
本当に心から一生懸命聞いていたので、相談者にもその気持ちや心もちゃんと伝わっていたのだと思います。
本当に一生懸命、自分の言葉で自分の考えを伝えようとしたので、決して上手な言葉ではありませんでしたが、相談者にもその言葉と気持ちが伝わったのだと思います。
少なくても、「今日ここに電話をしてよかった」と思って頂けるような形でお話を終わらせて頂く事が出来ました。
家に帰ってからこう思いました。
駆け込み寺のあるべき姿の一つには、そこがいつでも、人の話を一生懸命聞く場所である事。そして、そういう場所は本来、各家庭、各地域にあるべきもの、きっとそれに気付けばそれは可能な事であり、そういう事を知ってもらうきっかけになる事も、駆け込み寺にとって必要な事なのだろうと思いました。
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