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2021年09月23日09:56

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ドストエフスキー著・米川正夫訳「未成年」を読んで



照る日曇る日第1635回

これは「悪霊」のあと1875年に書かれた4番目の長篇である。題名通り「未成年」である若者の未熟で自由奔放な「生活録」を、まるで熱に浮かされたような独白(筆致)で綴っていくのであるが、これは「罪と罰」と同様、雑誌の締め切に追われた口述筆記の所産ではなかろうか?

確かにある若者の不幸な生い立ちや、ねじれた親子関係から出立して、次々に登場する正体不明の公爵やら老公爵、その令嬢や、やくざなチンピラやら、筋金入りの悪人どもの跳梁跋扈、そして、恋あり、愛あり、失恋あり、自殺あり、密偵あり、ピストルあり、犯罪あり、なんでもありのサスペンスフルな冒険小説兼青いビルダングスロマンは、面白いといえば面白いが、しかしてその実態は、ちゃんとしたプロットもなしに毎月毎月出たとこ勝負で書きまくった前人未到の壮大な失敗作、ではないだろうか?

例えば真ん中へんで主人公が、「わいらあ突如大金持ちになったずら」と告白し、「これからその経緯を述べよう」と宣言するので、気負いこんで読み進めていけどもいけども、そのかんの事情などはついに説明されることなどく、小説は次から次へと勃発する小事件の迷路のそのまた奥の細道に紛れ込み、その都度主人公ならぬ作者が顔を出して、「後刻その謎を闡明すべし」などと弁疏はするのだが遂になされず、つまりはなあにがなあんだか訳が分からんうちに、物語は終わってしまうのである。

ドストエフスキーはどんな長篇のなかでもよく脱線して、本筋以外の思想や余話に饒舌をふるうが、この小説の本質は、その「枝葉末節の凝縮そのもの」、「小説のようなものの集大成」、「ライヴ小説の実験」であるというても過言ではないだろう。

でも急いで付け加えておくが、終わりの方で突然登場するマカール老人の風貌と言説は、「カラマーゾフの兄弟」のゾシマ長老のそれを思わせつつ、より一層素朴で原初的で、その姿がいつまでも忘れがたない感銘を残す。

  官邸に睨まれて大阪に飛ばされた武田キャスター元気にしとるか? 蝶人

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