照る日曇る日第1609回
長く統合失調症を患っていた愛妻の突然の自殺に大いなる衝撃を受けた作者が、その生と死を改めて直視しながら、頭ではなく、はらわたで書き綴った鎮魂の書である。
この小説は、ある冬の朝、縊れて間もない妻の無惨な姿をベランダの下に発見した夫の動転から始まるが、その臨場感触れるドキュメントは、異様な迫力とリアリティを備えていて、私事ながら最近救急車でIRに担ぎ込まれた個人的な体験が鮮やかに蘇えった。
医師や病院、そして警察、葬儀屋まで、両の目と耳に刻まれた未聞の事件と体験を正確無比、非情なまでに再現していく作者の筆の冴えは、尋常のものではない。恐らく作者が半世紀もの昔に慣れ親しんだ、「客観的な事実の徹底」を唱えたアラン・ロブ=グリエのヌーヴォー・ロマンの手法などが、無意識に反映されているのではないだろうか?
妻の突然の死で始まったこの小説の第1部は、通夜と葬儀で終わるが、やがて作者の眼と心は、有名な歌人でもあった妻との出会いを語りながら、彼女と共に生きた懐かしい過去へとおもむろに遡っていく。
妻の自殺の原因は、極端から極端へと揺れ動く宿痾の結果、と言ってしまえばそうなのだろうが、それでは納得できない作者は、歌人が生涯にわたって詠み続けた詠草の数々に肉薄しながら、彼女の突然の自死の謎に必死に挑もうとする。
その懸命の努力が、本書の後半の第2部、第3部で完全に果たされたとは思われないが、妻と愛憎を共にした長い長い時間を、さながらプルーストのように、書きながら発見し、創造する中で、作者は「妻という他者」、そして「家族という他者」、さらには「知られざる自分という他者」とはしなくも巡り合い、再認識し、もうひとつの人世、ダンテの「新生」のような新境地に辿り着いたのではないだろうか。
余事ながら、井口葉子氏によるカバー油絵「persona」が、お会いしたことのない故人を偲ばせるように、傷ましくも美しい。
デルタ型の新型コロナがイプシロンに変異する頃人類滅ぶ 蝶人
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