85年6月11日、東京体育館メインイベントは猪木vsアンドレ・ザ・ジャイアントのIWGP優勝決定戦(60分1本勝負)。アンドレにはマネージャーとしてショーグン・KYワカマツがついています。
ヒールサイドの為に試合開始前に行われた吉原功氏の追悼セレモニーには参列出来なかったものの(現在ではヒールレスラーはセレモニーに本隊とは離れた場所で参列することが多くなった)。おそらくこの日会場にいた誰よりも吉原の早すぎる逝去を哀しんでいたのがアンドレとワカマツかと思います。
試合は猪木の延髄斬りを食らったアンドレが場外に転落しようとした際にエプロンで身体を場外に向けたまま両腕をトップロープとセカンドロープに挟み込んでしまいました。レフェリーのミスター高橋がカウントを数えましたがアンドレは自力でこれを外すことが出来ず、13分50秒、エプロンカウントアウトにより猪木の勝利。
呆気ない幕切れで猪木が2年連続優勝を遂げています。
セミファイナルでは藤波がハルク・ホーガンのWWF世界ヘビー級王座に挑戦。立会人にはビンス・マクマホンが来日しています。
ホーガンのアックスボンバーが藤波に炸裂し11分4秒、体固めでホーガンが王座防衛に成功しました。
6月12日、横浜文化体育館(ノーテレビ)ではホーガンとアンドレが初のタッグを結成、猪木、坂口組の黄金コンビと対戦。12分40秒、アンドレが坂口をヒッププレスから体固め。
シリーズ最終戦、6月13日愛知県体育館(テレビ収録、観衆12300人超満員発表)では85年IWGP優勝者の猪木にホーガンが挑む85IWGPヘビー級選手権試合が開催されました。同王座が正式にタイトル化するのは2年後の87年6月なので、これは仮のタイトルマッチということなのでしょう。
前84年6月14日、蔵前国技館で起きた暴動事件以来の両者の再戦でしたが、試合は11分25秒、場外で延髄斬りをホーガンに浴びせた猪木が素早くリングインし、リングアウト勝ちで王座初防衛を果たしています。
立会人としてビンスも来ており、名勝負、好勝負とは遠い試合内容でしたが、双方の立場を色々考慮したとしてもこのフィニッシュはビンスもやむを得ず受入たものと思われます。観客にとっては物足りなさがあったでしょうが、猪木とホーガンは3年越しで一応の決着をみました。
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